紅白注目!ハンバートハンバート「笑ったり転んだり」歌詞深掘り!小泉八雲が愛した「西」と「夕日」の理由とは?
今年のNHK「紅白歌合戦」に初出場が決定した夫婦デュオ、ハンバートハンバート。彼らが歌うのは、同局の連続テレビ小説「ばけばけ」の主題歌「笑ったり転んだり」です。
哀愁を帯びつつも、聴後には不思議と温かい気持ちになるこの独創的な楽曲の歌詞には、哲学的ともいえる深遠な意味が込められています。今回は、この歌詞に隠された秘密、特に小泉八雲と妻セツの人生との繋がり、そして「西」や「夕日」に秘められた理由を読み解きます。
「ばけばけ」のモデル、小泉八雲とセツ夫妻の人生が歌詞に
「笑ったり転んだり」の歌詞には、「ばけばけ」の登場人物であるレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)とヒロイン・松野トキ(高石あかり)のモデルとなった、実在の人物、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻・セツの人生や人物像が色濃く織り込まれています。
作詞を手がけたハンバートハンバートの佐藤良成さんは、事前にセツの著書『思い出の記』(博文館、1911年)を繰り返し読破したといいます。
この著書には、八雲とセツの出会いから八雲の死までが克明に記されており、歌詞には夫妻の素顔や心情が深く刻み込まれているのです。
八雲が愛した「夕日」と「西」の理由
歌詞の2番には「夕日がとても綺麗だね」という一節があり、さらに「黄昏の街西向きの部屋」とも歌われています。
実は、八雲は特に「夕焼け」と「西」をこよなく愛していたことが、セツの『思い出の記』に記されています。
セツは次のように綴っています。
「方角では西が一番好きで書斎を西向きにせよと申した位です。夕焼けがすると大喜びでした。これを見つけますと、すぐに私や子供を大急ぎで呼ぶのでございます。いつも急いで参るのですが、それでもよく『1分後れました、夕焼け少し駄目となりました。なんぼ気の毒』などと申しました」(『思い出の記』より)
八雲は日が昇る「朝日」よりも「夕日」に、そして日当たりの良い「東」や「南」よりも、日の沈む「西」に強く惹かれました。これは、華やかなものよりも、むしろわびしさや寂寥感を愛する、彼の独特な美意識が反映されていると言えるでしょう。
怪談蒐集家・八雲の意外な趣味「散歩」
歌詞の締めくくりには「今夜も散歩しましょうか」という言葉が登場します。
この「散歩」もまた、八雲が深く愛した趣味の一つでした。全108ページにわたる『思い出の記』には、「散歩」という言葉が実に21か所も登場することからも、その頻繁さがうかがえます。
八雲が島根県松江市にやって来たのは1890年(明治23)。これは「ばけばけ」のヘブンと全く同じ設定です。
その1年3か月後、八雲は熊本県熊本市の旧制第五高(現熊本大)に移り、内縁の妻となっていたセツも同行しました。熊本に到着して間もない頃のエピソードからは、八雲の散歩好きと、その人柄がよく表れています。
一人での散歩から帰った八雲は、セツに対し「大層面白いところを見つけました、明晩散歩いたしましょう」と誘いました。
次の日の夜は闇夜。セツはその夜の様子をこう書き残しています。
「宅を二人で出まして、淋しい路を歩きまして、山の麓に参りますと、この上だと云うのです。草のぼうぼう生えた小笹などの足にさわる小径を上りますと、墓場でした」(『思い出の記』より)
なんと、八雲にとって夜の墓場こそが「面白いところ」だったのです。さすがは怪談蒐集家として名高い人物。セツはさぞゾッとしたことでしょう。
ハンバートハンバートの「笑ったり転んだり」は、単なる主題歌にとどまらず、小泉八雲とセツ夫妻の深い人生哲学と、彼らが愛した日本の風景や文化への眼差しを、繊細な言葉とメロディーで私たちに伝えてくれる一曲です。
今年の紅白歌合戦で彼らのパフォーマンスを観る際には、ぜひ歌詞に込められた八雲の魂にも耳を傾けてみてください。
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