名参謀・高代延博氏、71歳で逝去 「もうちょっと野球がしたかった…」
プロ野球界に長年貢献した高代延博氏が、食道がんのため71歳で亡くなりました。名監督たちの下で名参謀として活躍し、WBC連覇にも貢献した高代氏の生涯を振り返ります。
出会いは2012年、オリックス宮古島キャンプ
高代氏との出会いは2012年、オリックスの沖縄・宮古島キャンプ初日でした。「おう、よろしくな」とドスの利いた低い声で一言。その分厚い手は、数え切れないほどのノックを打ってきた証でした。最初は気難しい印象でしたが、岡田監督との食事を通じて、その人間味を知りました。
ユニフォームを脱げばエンターテイナー
阪神コーチ時代は、沖縄のスナックを愛し、カラオケで少年隊の「仮面舞踏会」や嘉門タツオの「なごり寿司」を熱唱。ジョークを飛ばし、場を盛り上げるエンターテイナーな一面もありました。しかし、酔うと本音が漏れ、「選手に嫌われたくない」という繊細な一面も持ち合わせていました。
三村監督から学んだ「愛情の厳しさ」
高代氏の指導のルーツは、広島コーチ時代に仕えた三村敏之監督にあったと言います。厳しい指導の裏には、選手への愛情があったことを知りました。金本知憲氏への指導は、高代氏にとっても大きな財産となりました。
WBC連覇への貢献、そして秘めた夢
星野仙一、落合博満、岡田彰布など、数々の名監督のもとで名ノッカー、三塁ベースコーチとして活躍。第2回WBCではコーチとして大会連覇に貢献しました。それでも、「一回でええから、プロ野球の監督をしてみたかったな」という秘めた夢がありました。
大経大監督として新たな挑戦
2023年1月からは関西六大学野球リーグの大経大野球部の監督に就任。「教えることばっかりで大変やで」と語りながらも、嬉しそうでした。しかし、その直後にステージ4の食道がんを発症。
最期に語った「ありがとう」
病と闘いながらも、高代氏は前向きに過ごしていました。しかし、2024年6月には丸刈りになり、12月1日に最後の言葉として「ありがとう」を告げ、静かに息を引き取りました。その力強い握手は、出会った日の分厚い手と変わらず、多くの人々の心に深く刻まれています。
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