「妹なんか生まれてこなければよかったのに」きょうだい児のリアルな苦悩と、見えないヤングケアラー問題
話題のコミックエッセイ『妹なんか生まれてこなければよかったのにきょうだい児が自分を取り戻す物語』から、障害のある兄弟姉妹を支える“きょうだい児”たちのリアルな声が明らかになりました。幼い頃から「家族を助けるのは当たり前」と思い込み、知らず知らずのうちに“ヤングケアラー”として重い責任を背負ってしまうケースが少なくないことが、著者のうみこさんの取材を通して浮き彫りになっています。
作品に込めた想いと取材で明らかになった“きょうだい児”の現実
うみこさんは、作品制作のために多くの当事者や親に取材を実施。その中で見えてきたのは、深い悲しみと静かな孤独、そして“親を助けたい”という純粋な気持ちでした。SNSや知人を通じて様々な立場の人々から話を聞いた結果、きょうだい児が抱える複雑な感情を深く理解できたと語ります。
特に印象的だったのは、障害のある兄弟姉妹への嫌悪感や恨みを公言している当事者の言葉の裏に隠された本心でした。「母に会いに行っても、障害のある兄弟姉妹が自分だけに注目してほしくて、話を遮ったり、騒いだりしてしまう」という言葉から、きょうだい児が抱える言葉にできない悲しみや寂しさが伝わってきます。
“手伝うのが当たり前”の重圧と、失われた自分の時間
また、障害のある妹さんの癇癪を唯一鎮めることができた姉のケースでは、幼い頃からケアを任されることが重い負担となり、結婚を機に実家との関係を断たざるを得なかったという切ないエピソードも明かされました。親はきょうだい児に負担をかけないように気を配っていたものの、結果的にケアの責任を押し付けてしまうという矛盾も浮き彫りになっています。
「家族のお手伝いをするのは当たり前」という空気の中で育ち、自分の人生を犠牲にしてしまうきょうだい児も少なくありません。親の苦労を理解し、助けたいという気持ちがある一方で、自分の気持ちを押し殺してしまう葛藤も抱えているのです。
支援の必要性と、きょうだい児のための場の重要性
うみこさんは、取材を通して、きょうだい児がヤングケアラーになってしまうケースが少なくないことを痛感し、福祉の介入が不可欠だと感じています。また、親同士が悩みを共有できる場がある一方で、きょうだい児自身が安心して話せる場が少ない現状を指摘し、支援の充実を訴えています。
この作品は、きょうだい児という見えにくい存在の心の傷を丁寧に描き出し、社会全体で支援していくことの重要性を訴える問題作と言えるでしょう。
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