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朝ドラ『ごちそうさん』ナレーションも断った吉行和子さん、90歳で逝去 病弱な少女が演劇に救われた軌跡

投稿日:2025年12月28日

国民的女優として知られた吉行和子さんが、2025年9月2日に90歳の生涯を閉じられました。今回は、半世紀にわたる親交があったエッセイスト関容子さんの視点から、吉行さんの女優としての歩みと、知られざるプライベートに迫ります。

喘息を克服し、舞台へ

吉行さんは、幼少期から病弱で、喘息に悩まされていました。しかし、発作が治まるとケロッと元気になることから、「どこも悪くない」と医者に言われたことをきっかけに人間不信を抱くようになったそうです。そんな暗い少女と演劇との出会いは、女子学院中学3年の時でした。

母親が美容室のお客様から劇団民藝のチケットを譲り受け、観劇した『冒した者』(三好十郎作)での奈良岡朋子さんの演技に心を奪われた吉行さんは、「部屋にこもって一人芝居をしていた自分には、多くの人が物語を鮮やかに伝える舞台の魅力が衝撃的だった」と語っています。そして、「劇団に入りたい」と強く願うようになったのです。

民藝研究生合格の裏側

高校2年生で民藝の研究生に応募した吉行さん。しかし、朗読のテストでは一行読んだだけで北林谷栄さんに「もういいですよ」と遮られ、歌のテストでは蚊の鳴くような声で「春の小川」を歌い、リズム感のテストも棒立ちだったにも関わらず、なぜか合格してしまいます。

『ごちそうさん』ナレーションの裏話

朝ドラ『ごちそうさん』のナレーション依頼を受けた際、吉行さんは「私は声がよくないから」と一度は断ったそうです。しかし、最終的には採用され、その温かい語り口は多くの視聴者の心を掴みました。吉行さんの才能と魅力は、声の良し悪しを超えていたのです。

一人芝居『MITSUKO』への挑戦

1992年には、一人芝居『MITSUKO―ミツコ世紀末の伯爵夫人』に挑戦し、病弱人間不信だった少女が、演劇の世界で輝きを放つ姿を印象的に表現しました。透明感のある美しさで観客を魅了した吉行さんの舞台は、今も多くの人々の記憶に残っています。

関容子さんは、吉行さんの女優としての才能だけでなく、その人間性にも深く感銘を受けていました。別れ際に「また会いましょう」と言ってくれたこと、そして、喘息の苦しみを理解し、励ましてくれた十七代目勘三郎さんとの出会いなど、吉行さんの人生を彩るエピソードが数多く語られています。

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