日本共産党の理論的支柱・不破哲三氏が死去 95歳
日本共産党の委員長や議長を務め、党の理論的支柱として長きにわたり活躍した不破哲三(ふわ・てつぞう)氏が、95歳の年齢で死去されました。10代の頃から共産党の活動に人生を捧げ、日本の政治界に大きな足跡を残しました。
不破哲三氏の生涯と政治家としての道のり
1930年に東京都中野区で生まれた不破氏は、旧制一高(現在の東京大学教養学部)在学中の1947年に共産党に入党。東大農学部卒業後、鉄鋼労連(現在の日本基幹産業労働組合連合会)に就職し、労働運動にも携わりました。
1969年の衆院選で初当選し、その後10期にわたり衆院議員を務めました。党内では、宮本顕治氏の“秘蔵っ子”として頭角を現し、40歳で書記局長に抜擢されるなど、その才能と将来性が期待されました。
党の柔軟路線を推進し、中国共産党との関係正常化に貢献
宮本氏の退任後は、志位和夫氏との体制を確立。1998年には、文化大革命以降断絶が続いていた中国共産党との関係を正常化し、2000年には党トップの議長に就任しました。
議長就任後は、党規約から「前衛政党」などの表現を削除するなど、柔軟路線への転向を率い、党の近代化を図りました。2003年に政界引退するまで、日本の政治に大きな影響を与え続けました。
引退後も党の精神的支柱として存在感を示し、登山を愛好
政界引退後も、最高指導部である常任幹部会委員として党の活動に関わり続けました。2019年の参院選では、89歳の高齢ながらも選挙カーに乗って応援演説を行うなど、その情熱は衰えませんでした。
また、2020年には、議長退任以来14年ぶりに党大会で演説を行い、党の精神的支柱として存在感を示しました。プライベートでは登山を趣味としており、「私の特効薬は山登り」と語るほどでした。
不破哲三氏の死去は、日本共産党にとって大きな損失であり、日本の政治界にも深い悲しみをもたらしました。その功績は、長く記憶されることでしょう。
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