森永卓郎さん「死ぬつもりがなかった」妻・弘子さんが語る壮絶な闘病、仕事への執念と奇跡の桜
経済アナリストとして、テレビやラジオで多くの人に親しまれた森永卓郎さんが、2023年末に末期がんで余命宣告を受け、今年1月に惜しまれつつも他界されました。
しかし、妻・弘子さんによると、本人は「まったく死ぬつもりがなかった」のだとか。最期まで仕事に情熱を燃やし、病と闘い続けた森永さんの壮絶な闘病記を、妻の証言を交えてご紹介します。
背中の痛みから始まった悪夢、そして衝撃の診断
異変は2023年の初夏に訪れました。森永さんからの「背中が痛い」という訴えから、尿路結石の持病を疑い病院を受診。
しかし、詳細な検査を後回しにしがちな森永さんらしい一面もあり、その時は痛みが引いたことで病院から足が遠のいてしまいました。
まさか、この時すでに体内で深刻な異変が起きていたとは…。
同年10月、糖尿病の定期健診で「体重が減りすぎている」と指摘され、念のために受けた人間ドックで、衝撃の事実が判明します。
診断は「膵臓がんのステージ4」。医師からは「来年の桜は見られないかもしれない」という残酷な余命宣告が告げられました。
弘子さんがショックで動揺する中、森永さん本人は意外なほど「ああ、そうなの」と淡々とした様子で、いつもの仕事に戻っていったといいます。
仕事を続けるための決断…抗がん剤治療の中止
抗がん剤治療が始まる日も、午前中のラジオ生放送を終えてから病院へ向かった森永さん。
しかし、点滴を終えて帰宅した翌日からひどい体調不良に襲われます。起き上がれず、食事が喉を通らず、会話もままならない状態に。
森永さんが最も苦しんだのは、思考能力が失われることでした。
「これでは原稿が書けない。抗がん剤治療はやめる」と、自身の仕事への執念から、治療の中止を決断します。
その後、栄養剤の点滴で一時的に体調が回復すると、入院先の総合病院で執筆中の単行本の仕上げに取り組み始めます。
クライマックス部分は、次男が口述筆記を引き受け、無事に完成へとこぎ着けました。
「退院する!」病院を飛び出した、森永さんの生きる意志
しかし、本人の“仕事への集中力”は止まりません。
わずか2週間後には、看護師の出入りや検査、食事で作業が中断されることに耐えかね、「集中できない。退院する」と訴え始めます。
家族やマネージャー、果ては院長先生までもが感染症のリスクを説明し、入院継続を説得しましたが、森永さんはまるで駄々っ子のように「家に帰る」と主張。結局、家族の反対を押し切って退院してしまいました。
その後、原発不明がんと診断された森永さんは、免疫療法薬「オプジーボ」と自費診療の血液免疫療法を開始。
「見られないだろう」と言われた桜の季節を越え、生き続けることができたのです。
最期まで仕事と生きることに執着し、自らの意思を貫いた森永卓郎さん。
妻・弘子さんの言葉「本人はまったく死ぬつもりがなかった」は、彼の最後まで諦めない強い生き様を物語っています。
コメント一覧
まだコメントはありません。
← トップに戻る