紅白歌合戦に隠された衝撃の過去!人気絶頂期に引退した歌手たちの決断の真相
今年の紅白歌合戦も話題沸騰中ですが、実は過去には人気スターがその絶頂期に引退という決断をしたケースも少なくありません。今回は、その中でも特に衝撃的だった小畑実さんの引退に迫ります。
紅白歌合戦で「最初の引退」を選んだ大スター
昭和32年(1957年)の紅白歌合戦。小畑実さんは、戦後の大ヒット曲『高原の駅よ、さようなら』を歌い、涙をこらえながら「長い間ありがとうございました。厚く御礼申し上げます」と挨拶しました。この時、小畑実さんは歌手としての引退を決意していたのです。
美空ひばりと互角の人気を誇ったイケメン歌手
小畑実さんは、昭和10年代から『婦系図の歌(湯島の白梅)』『勘太郎月夜唄』などのヒット曲を連発。戦後も『長崎のザボン売り』、そしてちあきなおみがカバーした『星かげの小径』など、数々の名曲を生み出しました。当時の芸能雑誌『平凡』の人気投票では、昭和27年から昭和29年まで3年連続で男性の第1位を獲得。その頃、女性の第1位は15歳の美空ひばりさんでした。小畑実さんと美空ひばりさんは、まさに互角の人気を誇っていたのです。
人気が落ち込む前に引退を決意
しかし、昭和30年(1955年)に春日八郎さんの『お富さん』が戦後最大のヒット曲となり、小畑実さんは首位を明け渡します。翌年は1位を奪還するも、昭和32年には三橋美智也さんが首位に。若手スターの台頭により、人気投票では10位まで転落した小畑実さんは、「歌手は人気があるうちが花、人気が落ち込む前に引退しよう……」と引退を決意したのです。
カムバックからCD発売まで
引退後、小畑実さんは渡米しホテル経営や作曲家として活動。フランク永井さんや橋幸夫さんらに作品を提供しました。そして、昭和44年(1969年)には“なつメロブーム”をきっかけに歌手活動を復活させました。この度、小畑実さんの当時録音された音源を集めたCD『日本の流行歌スターたち(56)』が1月21日に発売されます。
紅白歌合戦の歴史には、小畑実さんのように勇気ある決断をした歌手たちの物語が数多く存在します。彼らの引退は、人気の維持だけが歌手の生き方ではないことを教えてくれます。
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