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豊臣秀吉を最も信頼させた弟・秀長の一世一代の大舞台とは?東大教授が徹底解説!

投稿日:2026年01月12日

1月4日からスタートした大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、豊臣秀吉(演・池松壮亮)の弟・豊臣秀長(演・仲野太賀)に注目が集まっています。今回は、秀吉に比べ知名度が低い秀長の活躍ぶりを、人気東大教授・本郷和人氏の著書『豊臣の兄弟秀吉にとって秀長とは何か』(河出新書)を基に解説します。

秀長に与えられた「但馬国」は本当に秀長の領土だったのか?

秀長は有子山城主となり、但馬国を領有したとされていますが、当時の史料を詳しく見てみると、必ずしもそうとは言い切れません。但馬国の中でも、美含郡、城崎郡、二方郡は宮部継潤という秀吉の古参家臣が支配しており、秀吉の甥である秀次が一時的に宮部継潤の養子になっていたという関係性も。さらに、出石郡は木下昌利が支配していたことが確認されています。

木下昌利秀長の家臣である可能性もあるため、この地域を秀長領と解釈することもできますが、確実に秀長の領地と呼べるのは、養父郡、朝来郡、七美郡、気多郡のわずか4郡のみ。つまり、この時代の「一国を与えた」という表現は、現代のような明確な領土の所有権を意味するのではなく、「概ねこの国はあなたのもの」というニュアンスだったと考えられます。

秀長の確かな本拠地はどこだったのか?

秀長の本拠地は竹田城と有子山城(出石城)とされていますが、竹田城は朝来郡、有子山城は木下昌利領の出石郡に位置していました。そのため、確実に秀長の本拠地と呼べるのは、朝来郡の竹田城となります。現代では、各自治体が観光客誘致のため、「秀長の城はうちの地域にある」とアピールし合うこともあるようです。

秀吉の日本統一、そして江戸時代へと移行するにつれて、一国領有の概念は明確化していきましたが、秀長が活躍した時代は、まだ領土の境界線が曖昧で、秀吉の意向によって支配者が変わることもありました。秀長秀吉からの信頼を勝ち取り、重要な役割を担った背景には、このような時代背景も影響していたのかもしれません。

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