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大河ドラマ『豊臣兄弟!』が映し出す戦国時代の農村の過酷な実態…「奴隷」同然の足軽たちの命がけの働きとは

投稿日:2026年01月13日

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』第2話で描かれた、農民が戦に駆り出されるシーン。その背景には、戦国時代における農村の過酷な暮らしがありました。今回は、ドラマをより深く理解するために、40代50代の働く女性の視点から、当時の農村の実態を深掘り解説します。

戦国時代の農村:人口の9割が農業で生計を立てていた

近代以前の日本において、人口の約9割が農業で生計を立てていたと言われています。戦国時代といえども、武士は社会のごく一部。兵農未分離の時代であり、武士と農民の身分は明確に分かれていませんでしたが、農村での暮らしは非常に苦しいものでした。

農民は大名や領主への年貢に苦しみ、食事もが中心でしたが、年貢でほとんど取られてしまうため、雑穀や麦を混ぜて食べるのが一般的でした。時には野菜や木の実、木の根を煮て食べることもあったというのです。

村の結束と、戦場への駆り立て

農村部では、村人たちが団結して地域運営を行っていました。年貢となる米は村単位で納めていたため、横のつながりが非常に強く、助け合いの精神が根付いていたと考えられます。

しかし、戦が起きれば、農民たちは戦場に動員されることも。稲作や野菜の収穫に加え、土木工事祭りの開催合戦で使う食糧の運搬など、様々な仕事に追われました。また、近隣の村からの攻撃に備え、武器を所持し、自ら戦う必要もあったのです。

「待ってました~!」と叫んだ百姓たち…戦は食い扶持の場?

ドラマの第1話にもあったように、百姓たちは戦の呼びかけに「待ってました~!」と喜んでいました。これは、戦が食い扶持を確保するための絶好の機会だったからです。農作業ができない時期には、戦場で働くしかなかったのです。

特に、次男や三男は家族を養うために、命がけで戦場に向かうしかありませんでした。しかし、彼らは雇い主と正式な主従関係を結んでいたわけではないため、戦場で活躍しても恩賞の対象にはなりにくかったのです。

質素な装備と、若くして亡くなった豊臣兄弟の父

戦国武将がイメージされるような、立派な兜豪華な鎧は、当時の農民にはありませんでした。質素な装備で戦に臨むしかなかったのです。

豊臣兄弟の父も農業に従事していましたが、戦に動員され、受けた傷が原因で若くして亡くなったと言い伝えられています。戦国時代の農民は、まさに命がけで生きる、過酷な環境に置かれていたのです。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、華やかな戦国武将の物語だけでなく、農民たちの苦しみ生き様も描き出すことで、戦国時代の全体像をより深く理解させてくれます。

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