久米宏さん、テレビ史を変えた「ニュースステーション」の功績
1985年10月にスタートしたテレビ朝日のニュース番組「ニュースステーション」。この番組は、日本のニュース番組のあり方を大きく変えた画期的な番組でした。この番組を支え、ニュースの面白さを追求し続けた久米宏さんが、この度逝去されました。彼の功績を振り返ります。
これまでのニュース番組との違い
それまでのニュース番組は、報道局の記者が書いた原稿をキャスターが読むという形式が一般的でした。しかし、「ニュースステーション」はテレビ朝日の制作局、報道局、そして久米さんが所属する制作会社「オフィス・トゥー・ワン」がチームを組んで制作するという、当時としては前代未聞の体制でした。
「中学生でもわかる」視覚主義
番組のコンセプトは「中学生でもわかるニュース」。難しいニュース用語を分かりやすく伝えるため、徹底的に“視覚主義”を取り入れました。ブーメラン型の半円テーブルや、フリップ、模型、人形、積み木などを使った解説は、視聴者に視覚的に訴えかけるものでした。例えば、日航機墜落事故のニュースでは、犠牲者の人数分の靴を手配して並べるなど、強い印象を与える表現を追求しました。細部へのこだわりも徹底しており、生放送時に手に持つペンの色まで、ネクタイやスーツの色に合わせて選んでいたそうです。
「神は細部に宿る」久米宏さんの姿勢
久米さんは「神は細部に宿る」という言葉をモットーに、番組制作の中枢を担いました。報道記者が書いた原稿は必ず手直しを行い、紋切り型の表現や慣用句を排除し、自身の言葉で分かりやすく伝えられるように工夫しました。また、他のニュース番組や新聞の主張と重なる表現は避け、独自の視点を大切にしました。
ニュースのショーアップ化とスポーツへの情熱
「ニュースステーション」は、スポーツニュースにも力を入れました。特に、広島カープの大ファンとして知られる久米さんは、1989年のシーズン開幕前に「巨人が優勝したら坊主になります。日本一になったら徳光(和夫)さんの番組で万歳をします」と大胆な宣言をしました。そして、巨人がリーグ優勝した際には実際に丸刈り姿で出演し、日本一を達成した11月には本当に日本テレビのニュースに出演して万歳をするなど、公約を果たす姿を見せました。これは、ニュース番組のショーアップ化に大きく貢献したと言えるでしょう。
「ニュースステーション」は久米宏さんの集大成
「ニュースステーション」は、お茶の間と報道の距離感を縮め、ニュースをより身近なものにしました。久米さんは自身の著書「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった」の中で、「ニュースステーション」について「久米宏というタレントの集大成だった」と表現しています。彼のスキルと情熱が注ぎ込まれた、唯一無二の番組でした。
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