娘を想い続けた31年…阪神・淡路大震災で亡くなった娘が眠る芦屋へ、願い続けた母も昨年逝去
1995年の阪神・淡路大震災で亡くなった娘さんのことを31年間想い続けた父親の村田雅男さん(83)。そして、その想いを支え、娘さんの“生きた証”を残すために奔走した妻の延子さんも、昨年この世を去りました。初めて迎える“2人がいない1月17日”。この記事では、震災が奪った娘への深い愛情と、家族の絆、そして未来へのメッセージを伝えます。
震災が奪った未来、芦屋に眠る娘
1995年1月17日、兵庫県を襲った最大震度7の阪神・淡路大震災。芦屋市に住む村田さんの自宅は倒壊し、当時21歳だった娘の恵子さんが亡くなりました。猫と読書が大好きだった恵子さんは、前日の夜に大学の卒業論文を書き終えたばかりでした。
“本”で繋がった父と娘の思い出
村田さんは、恵子さんとの間にあまり会話がなかったものの、“本”を介することで心を通わせることができました。「お父さん、この本面白いで、読み」と恵子さんが持ってきてくれた本を読み、批評を返す。そんな時間が、村田さんにとって大切な思い出となっています。恵子さんが読んでいた本は、今も自宅に大切に保管されています。
「恵子の生きた証を残したい」妻の強い思い
震災直後から、妻の延子さんは「恵子さんが生きていた証を残したい」と、積極的に行動を開始しました。がれきの中から探し出した恵子さんの卒業論文を大学に提出し、特別に卒業が認められました。延子さんは、同世代の学生たちに「みんな、恵子の分まで元気で幸せに生きていってください。ありがとうございました」とメッセージを送りました。
言えなかった感謝の言葉、妻の深い後悔
延子さんは、家の下敷きになり、最期の瞬間を目の当たりにしました。恵子さんが「お母さん、お母さん」と呼ぶ声に、動けず「恵子ちゃん待ってて」としか言えませんでした。強い子だった恵子さんを叱り、泣き止ませたこと、そして、「恵子ちゃん、ありがとう、お世話になった」という感謝の言葉を伝えられなかったことが、延子さんの深い後悔となっています。
「誰にもこんなつらい思いをしてほしくない」と、延子さんは震災の経験を語り継いできました。
娘が眠る芦屋へ…願い続けた母と父
村田さんは、「芦屋に帰りたい」と語ります。恵子さんが亡くなった芦屋の町に、再び足を運びたいという強い思いです。その願いを支え、共に芦屋への帰りを望んでいた妻の延子さんも、昨年この世を去りました。初めて迎える“2人がいない1月17日”。村田さんの心には、娘への深い愛情と、妻への感謝が溢れています。
この悲しい経験を未来へと語り継ぐことこそが、恵子さんと延子さんの願いに応えることとなるでしょう。
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