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ジャンボ尾崎が“石像”になった日!伝説の日本オープン最終日に隠された真実

投稿日:2026年01月28日

2025年12月23日に惜しくも天国へ旅立った“ジャンボ”尾崎将司さん。その輝かしいキャリアの中でも、特に語り継がれる名勝負の一つが1988年の日本オープンです。今回は、昭和最後の日本オープン最終日に起きた、ジャンボ尾崎がまるで石像のように動けなくなったという衝撃的な出来事を振り返ります。

昭和最後の日本オープン、激闘の舞台裏

名門・東京ゴルフ倶楽部で開催されたこの大会は、尾崎将司青木功中嶋常幸(当時)による“AON”三強の激戦として、今もなおゴルフファンから語り継がれています。特に、最終18番のウイニングパットは、伝説としてその名を刻んでいます。

青木功と中嶋常幸に1打差。勝利すれば日本一というプレッシャーの中、ジャンボはわずか70センチの上り傾斜のパットに挑戦します。しかし、アドレスに入った瞬間、まるで石像のように動けなくなってしまったのです。

重圧だけではなかった!異常なグリーン事情

静寂の中、一度アドレスを解き、深く呼吸を整えるジャンボ。その様子を「役者だ」と受け取ったギャラリーもいましたが、ゴルフ場設計家の川田太三氏は「これは本当の重圧ですよ」と証言します。二度のアドレスを解いた時、ジャンボの額には脂汗がにじみ、視線は定まっていませんでした。

やがて意を決して放たれたパットは、見事にカップに沈みます。しかし、ホールアウト後、ジャンボは「こんな経験は初めてだ。最後?何も覚えていない」とつぶやしました。この2度の仕切り直しは、AONとの死闘が生んだ極度の重圧によるものと考えられています。

しかし、実はこの大会、グリーンが深刻なダメージを受けており、1組がホールアウトするごとにローラーをかけるという、異常とも言える状況でした。原因は、古くなったペンクロスの種と夏場の天候不順による日照不足。芝が十分に生え揃わないまま本番を迎え、そのコンディションはジャンボにとっても大きな負担となりました。

ジャンボを苦しめたグリーンコンディションの詳細

川田太三氏によると、ペンクロスは3種類の芝を掛け合わせた品種ですが、その年だけは天候が悪すぎたため、3種類のうち2つがほとんど育たず、芝の生育にムラが出てしまったとのこと。砂を撒いて押し固めるしかなかったという状況は、ジャンボをはじめとする全ての選手にとって、神経をすり減らすものでした。

ジャンボ尾崎石像のように動けなくなった背景には、AONとの激しい戦いが生み出した重圧に加え、異常なグリーンコンディションという、知られざる真実が隠されていたのです。この日本オープンは、ジャンボの第2期黄金時代が幕を開けた運命の一日として、これからも語り継がれていくでしょう。

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