箱根駅伝6位の衝撃!「地方にはスポットが当たらない」大学院生ランナーの執念と葛藤
2004年の第80回箱根駅伝。記念大会で唯一編成された「日本学連選抜チーム」が、オープン参加ながらも総合6位相当のタイムで箱根路を駆け抜け、大きな話題となりました。当時、全国各地の大学から集まった学生ランナーたちは、なぜこれほどまでに快走を披露することができたのでしょうか?
寄せ集めチームが掴んだ奇跡
NumberWebのノンフィクション記事(全5回の2回目)では、この“寄せ集め集団”が一体となるまでのドラマに迫ります。記事では、日本学連選抜チームのアンカーを務めた片岡祐介さんの証言を通して、その舞台裏を明らかにしています。
「箱根は頭になかった」北の大地で鍛えられた執念
北海道教育大旭川校の大学院に通う修士2年生だった片岡さんは、当初、箱根駅伝を走ることは考えていなかったと言います。「北海道の大学に進んだ時点で箱根は頭になかったですよ」と語る片岡さん。しかし、高校時代の同級生・金子宣隆さんが大東大学に進み、箱根駅伝で活躍する姿を見て、複雑な感情を抱きます。
雪道3時間走りの過酷なトレーニング
「地方で活躍した一選手で終わっていいのか」という自問自答の末、片岡さんは大学3年の頃から陸上に本気で取り組み始めます。1年の半分近くが雪に閉ざされる過酷な環境下で、朝1時間、夕方2時間の走り込みをほぼ毎日欠かさなかったといいます。
「冬は週1回、札幌に行って室内で走れる場所を探すんです。でも、交通費も施設代もすべて自腹。行けないときは仕方がないので、雪道を3時間走ったり…」と、質で関東の大学に勝てないなら、量で勝とうという強い意志が感じられます。
寒さに負けないための工夫
旭川の厳しい寒さ対策として、タイツ、ジャージ、ウインドブレーカーを重ね着し、靴下も2枚履くなど、徹底した寒さ対策を行っていたことも明かされています。シューズも冬だけはワンサイズ上げて購入していたそうです。
この記事では、地方でひたむきに努力を重ねてきた片岡さんの葛藤や執念、そして日本学連選抜チームが奇跡を起こすまでの道のりを、感動的に描いています。ぜひ、NumberWebの全文をチェックしてみてください。
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