手塚治虫は本当に「低迷」していたのか?『来見沢善彦の愚行』から読み解く、漫画史に残る巨匠の真実
漫画界の巨匠手塚治虫。そのキャリアは決して平坦な道のりではありませんでした。「ブラック・ジャック」連載前は時代に乗り遅れた存在だった?そんな定説を覆す、新たな視点が浮上しています。話題の漫画『来見沢善彦の愚行』に登場する手塚治虫をモデルにしたキャラクターを通して、手塚治虫の真実を深掘りします。
時代とのズレ?劇画ブームに押された手塚治虫
1960年代後半から1970年代初頭、漫画界は劇画やエログロナンセンスといった新しいジャンルに席巻されていました。永井豪の『あばしり一家』や『ハレンチ学園』といった作品が人気を博す中、手塚治虫の作品は「古い」と評されることもあったようです。
実際に、この時期の手塚作品『アラバスター』は、サスペンス色が強すぎたため子供たちの人気を得られませんでした。また、同じく「週刊少年チャンピオン」で連載された『やけっぱちのマリア』も、性に関する知識を扱った画期的な作品でしたが、過激な作品群に埋もれてしまったと言われています。
漫画研究家の夏目房之介氏は、手塚治虫が水木しげる氏の『ゲゲゲの鬼太郎』に対抗して『どろろ』を描いたのではないかと指摘しています。手塚治虫の対抗意識の強さが、結果的に時代とのズレを顕在化させてしまった側面もあるのかもしれません。
沈黙を破った『ブラック・ジャック』と『三つ目がとおる』
しかし、手塚治虫は決して沈んでいたわけではありません。1968年に創刊された小学館の「ビッグコミック」で、キャリアにとって重要な作品を次々と発表していました。その代表作の一つが『きりひと讃歌』です。
薬害の問題や病院内の権力構造、そして容姿による差別といった社会的なテーマを扱った『きりひと讃歌』は、大人の漫画ファンから高い評価を受けました。手塚治虫自身が医師免許を持ち、医学博士号を取得していたからこそ描けた作品であり、後の『ブラック・ジャック』へと繋がる手応えを得たと考えられます。
他にも、『奇子』『ばるぼら』『MW』といった作品も、現在では手塚治虫の傑作群として高く評価されています。
1話完結式の成功と世代交代
1973年に「週刊少年チャンピオン」で連載を開始した『ブラック・ジャック』、そして1974年に「週刊少年マガジン」で連載を開始した『三つ目がとおる』は、手塚治虫の復活を告げる大ヒット作となりました。
漫画評論家の米沢嘉博氏は、『ブラック・ジャック』を「懐かしの手塚キャラ、スターたちが登場するという自己パロディー的な意味合いも強く持っていた」と評しています。また、1話完結というスタイルが、ストーリー漫画中心だった時代に新鮮に感じられたことも、成功の要因の一つです。
さらに、団塊の世代がマンガ読者から去り、新たな世代がマンガ読者として台頭してきた時期でもあり、手塚治虫の経験と先鋭的な表現を取り入れた作品が、新たな読者に支持されたのです。
『来見沢善彦の愚行』に登場する「大寒鉄郎」は、手塚治虫のパラレルな存在として描かれています。担当編集者から「古い」と言い切られた大寒ですが、手塚治虫のように、時代を先取りし、漫画史に名を刻む存在になり得た可能性も秘めていたのかもしれません。
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