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伝説の柔道家山下泰裕選手の驚愕の勝利と、ニュースキャスター草野仁さんの秘話

投稿日:2026年02月02日

1984年のロサンゼルスオリンピック柔道無差別級。を呑んでの金メダル獲得は、今も多くの人々の記憶に鮮明に残っています。今回は、その感動的な試合と、後にニュースキャスターとして活躍する草野仁さんが当時感じたこと、そしてその後のキャリアについてご紹介します。

試合前の不屈の精神

山下泰裕選手は、2回戦で右脚の肉離れという大怪我を負ってしまいます。しかし、それを悟られないように冷静に振る舞っていたものの、周囲にはすぐに怪我だと分かってしまったそうです。コーチからは「一本取られなけりゃ負けないんだ」という力強い言葉を受け、気持ちを切り替えて次々と勝利を重ね、決勝へと進みます。

宿敵との心理戦

決勝の相手はエジプトのモハメド・ラシュワン選手。運命の対戦を前に、2人の控室は同じでした。ラシュワン選手は気合を入れて早々にウォーミングアップを始めますが、山下選手は瞑想にふけっていました。その時、ラシュワン選手が山下選手の近くに近づき、目を合わせた瞬間、山下選手は「これは勝った」と感じたそうです。相手の集中力を見抜いた、まさに勝負師のひらめきでした。

勝利の裏に隠された戦略

ラシュワン選手のコーチは日本人で、彼には「開始1分間は攻撃に行くな。山下選手は時間が経つにつれて苦しくなる」と指示していました。しかし、ラシュワン選手は山下選手の怪我を油断し、積極的に攻めに出た結果、山下選手に逆を取られ、横四方固めで敗北してしまいます。この勝利の陰には、山下選手の冷静な判断力精神力が隠されていたのです。

ニュースキャスターへの道

この感動的な試合を伝えることができたことも、草野仁さんにとって忘れられない思い出です。その後、草野さんは1956年にニュースの看板番組「ニュースセンター9時」のスポーツキャスターに抜擢され、1958年には朝の大型ニュース番組「ニュースワイド」の土曜日のメインキャスターに大抜擢されました。

当初、「ニュースワイド」の平日は先輩アナウンサーが担当していましたが、森本毅郎さんがTBSに移籍したため、草野さんは急遽、月曜日から土曜日まで全ての放送を担当することになったそうです。責任期待を背負い、草野仁さんはニュースキャスターとしての道を歩み始めたのです。

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