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スキージャンプ・船木和喜「思いに応えよう」が原動力!競技を続ける理由と支える食生活

投稿日:2026年02月09日

スキージャンプ界のレジェンド、船木和喜選手。1998年の長野オリンピックで銀メダルと団体金メダルを獲得した彼は、現在も競技者として第一線で活躍を続けています。今回は、そんな船木選手のジャンプを続ける原動力や、アスリートとしての体を支える食習慣について深掘りしました。

スキージャンプとの出会いとプロへの道

北海道余市町出身の船木選手は、札幌オリンピック金メダリスト笠谷幸生さんの功績がきっかけでスキージャンプを始めました。アルペン競技からジャンプに転向後、中学時代から頭角を現し、高校2年生の時にプロとしての道を志します。

「ジャンプで給料がもらえて生活ができると考えたときに決断しました」と語る船木選手。当時、日本ではプロという形態が一般的ではありませんでしたが、海外の選手たちがプロとして活動している現状を知り、実質プロとして挑戦したいという思いが芽生えたのです。

長野オリンピックの記憶と食の重要性

1998年の長野オリンピックでは、ノーマルヒルで銀メダル、ラージヒルと団体戦で金メダルと、圧倒的なパフォーマンスを見せました。あれから30年近く経った今も、当時の記憶として強く残っているのは、宿で毎日食べていた食事だと明かします。

「オリンピックに入る10日ぐらい前から食事の時間を試合に合わせて摂っていて、宿の方がいろいろ工夫をしてくれておいしいものを食べられていた。そうしたサポートのおかげでストレスなく試合に臨めたんじゃないかと思います」と振り返ります。ストレス軽減のために、特にスープを積極的に摂っていたそうです。

勝利の要因と独自の挑戦

3種目全てで好成績を収めた要因について、船木選手は「五輪に焦点を絞らずにシーズンを通して試合に出ていたから」だと語ります。長野オリンピックは、年間を通して行われるワールドカップの一つという感覚で臨んだことが、プレッシャーを感じにくかった理由の一つでしょう。

また、当時の日本代表チームには力のある選手が多数在籍しており、常に全力を尽くす必要があったことも、オリンピックでの成功に繋がったと考えられます。

長野オリンピック後、所属していた企業を辞め、自身の会社を立ち上げた船木選手。「企業所属という安定した環境を捨てて馬鹿なことをするなと思いますけど、自分で会社を立ち上げたからこそ、今でもジャンプを飛べていると思うんです」と、自身の決断を振り返ります。アスリートとして常に挑戦し続ける姿勢が、彼のジャンプを支えているのです。

船木和喜選手の言葉には、競技への情熱と、周囲への感謝の気持ちが込められています。彼の挑戦は、私たちに「思いに応えよう」という勇気を与えてくれるでしょう。

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