【涙腺崩壊】95歳の誓い!東南海地震で失った友の痕跡を求め、80年ぶり来日した強制動員被害者の魂の旅
「学校に行かせてやる、お金も稼げる」。そう騙されて、わずか14歳で日本の軍需工場へ。そこで経験したのは、想像を絶する過酷な労働と、東南海地震による突然の別れでした。その悲劇から80年、現在95歳になる韓国人女性、チョン・シニョンさんが、亡くなった友人を追悼するため、再び日本の地を踏みます。
「学校に行ける」その言葉は嘘だった…14歳の少女を襲った悲劇
1944年春、14歳のチョン・シニョンさんは、故郷の羅州大正国民学校を卒業しました。その直後、「日本に行けば学校にも行けるし、お金も稼げる」という言葉を信じ、村の区長と日本人教師に騙され、三菱重工名古屋航空機製作所へ強制的に動員されたのです。当時、羅州市から共に動員されたのは、ヤン・クムドクさん(94)を含む10代の少女たち24人でした。
しかし、彼女たちを待っていたのは、学校でも賃金でもなく、アルミニウムの板を運んだり掃除したりといった厳しい労役でした。そして、その年の12月7日、東海地方を襲った東南海地震によって、チョンさんの6人の友人が建物の瓦礫の下敷きとなり、命を落としました。忘れられない震災の恐怖と、大切な友人たちとの悲しい別れ。
チョンさんは賃金を受け取ることなく、解放後の1945年10月にようやく故郷へ帰ることができました。
80年越しの「償い」と「真実」を求めて
帰国後も、チョンさんは「日本に行ってきた」という世間の偏見から、唯一持っていた記念写真を破り捨てるほど、深い苦しみを抱えて生きてきました。しかし、報道でヤン・クムドクさんが三菱重工を相手取って訴訟を起こしたことを知り、2017年、自身も被害を証言。2020年1月には、三菱重工を相手に損害賠償請求訴訟を起こしました。
この訴訟では、日本の厚生労働省傘下の日本年金機構が当初「記録がない」と説明を拒否するなど、厳しい道のりでした。ですが、日本の国会議員や市民団体の働きかけにより、最終的にはチョンさんが厚生年金に加入していたことが認められ、「脱退手当」としてわずか931ウォン(約100円)が送金されるという出来事もありました。
昨年1月、一審で勝訴した際、チョンさんは「東南海地震で亡くなった友人のキム・スンレ、チェ・ジョンレを思い出す。今日の勝訴は、先に旅立った友人たちに対する道理だ」と語り、「日本には『大変苦労させて申し訳ない』と謝罪の一言でも言ってほしい」と、その切なる思いを明かしています。現在も訴訟は続いていますが、彼女の闘いは多くの人々に勇気を与えています。
忘れられない友へ、95歳の命がけの訪問
そして今月6日から8日までの3日間、チョンさんは市民の会の会員たちと共に、名古屋を訪問します。80年ぶりの日本訪問となる今回の目的は、何よりも東南海地震で亡くなった友人たちを追悼することです。7日には名古屋で開催される「東南海地震犠牲者追悼式」に出席し、友人の魂を慰めます。
「歳月が流れても地震当時の恐怖と爆撃機のごう音は今も忘れられない。今は杖をついてやっと動けるが、死ぬ前に、せめてあの時に無念に死んでいった友の痕跡を探したい」。チョンさんの言葉からは、年齢を重ねても薄れることのない、友人への深い愛情と、歴史の真実を求める強い決意が伝わってきます。
名古屋には、日本の市民団体が寄付を集めて1988年12月に建てた「東南海地震犠牲者追悼碑」があります。そこには、地震で亡くなった59人の名前とともに、「悲しみを繰り返さぬようここに真実を刻む」というメッセージが刻まれています。
チョンさんの今回の訪問は、過去の歴史と向き合い、未来へと繋ぐ大切な一歩となるでしょう。彼女の訪問が、日韓両国の人々にとって、歴史の記憶を共有し、平和を考えるきっかけとなることを願ってやみません。
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