偏差値67の進学校出身、国立大学在学の俊才が世界で輝く!“現代日本最強のニンジャ”山本遼平選手の知られざる挑戦
令和を生きる“ニンジャ”山本遼平選手(千葉大学1年)が、オブスタクルスポーツの世界大会で銅メダルを獲得!その驚きの経歴と、競技への情熱、そして未来への展望に迫ります。アメリカの人気番組『ニンジャ・ウォリアー』から生まれたこのスポーツで、日本の第一人者として世界を舞台に活躍する山本選手。その原点と、競技を支える家族の想い、そして課題について深掘りします。
衝撃!進学校からオブスタクルスポーツへ
偏差値67の進学校を卒業後、国立大学に進学した山本選手。誰もがエリートコースを歩むであろう彼が、なぜオブスタクルスポーツというまさかの競技に情熱を燃やすようになったのでしょうか?
きっかけは、幼少期の休日。父親に連れられてアスレチック施設で遊んだことでした。「すごく楽しかった」というシンプルな原体験が、彼の心を掴んで離しませんでした。しかし、山本選手はただ遊ぶだけでなく、インターネットで海外のアスレチック動画をチェック。そこで出会ったのが、アメリカ版『SASUKE』である『NinjaWarrior』でした。
自宅の庭が鍛錬の場に!父との絆が育んだ才能
『NinjaWarrior』の映像は、アスレチック好きの少年に衝撃を与えました。普段遊んでいるものとは比較にならないスケールのアイテムに、大人たちが真剣に取り組む姿を見て、強い憧れを抱いたのです。
当時、日本にはオブスタクルスポーツの大会も存在しませんでした。それでも諦めなかった山本選手は、父親に相談し、自宅の庭に手作りの障害物を作ってもらうことに。鉄パイプやフライングバーなど、ニンジャの真似事ができる練習施設が完成しました。
「競技で何か成績を残したい」という思いから、小学6年生の時には長野で開催された巨大うんてい大会で小学生部門のうんてい王に輝きます。この成功が、彼の忍びの道への第一歩となりました。
父のサポートとDIY精神が生んだ練習環境
中学に入ると、山本選手はさらに本格的な練習環境を求めて、父親が所有する土地に練習施設を建設。IT技術者の父親は、建築の知識がないにも関わらず、息子の夢を応援するため、DIYで練習施設を作り上げました。
「意外と難易度は低かったんです。なんだかんだでやってみたら作れる。あとで知ったことですが、アメリカのジムなんかでも、みんな自分で作っていたんです」と山本選手は語ります。父のサポートと、自らで工夫する精神が、彼の才能を大きく開花させたのです。
山本選手の活躍は、今後のオブスタクルスポーツの発展に大きく貢献すると期待されています。ロス五輪では近代五種の一種目にも選出されたこの競技で、彼はどこまで高みを目指せるのか。今後の活躍から目が離せません。
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