伝説のヒップホップイベント「さんピンCAMP」大神3人が語る、あの日の熱狂と裏側
1990年代後半、日本のヒップホップシーンに大きな衝撃を与えた伝説のイベント「さんピンCAMP」。BUDDHABRANDとSHAKKAZOMBIEからなるユニット大神のメンバー、CQ、NIPPS、IGNITIONMANakaヒデボウイの3人が、当時の記憶を振り返る鼎談の後編をお届けします。
「人間発電所」は「さんピンCAMP」のテーマ曲だった
大神は「さんピンCAMP」のトップバッターとして「大怪我(ILLJOINTSTINKBOX)」を披露しました。企画の発端はECDの石田さんからだったと言います。
NIPPS:「石田さんから『さんピンCAMP』のアルバムを作りたいって話があったんだよね。『人間発電所』はそのために作ったんだよ。」
CQ:「『人間発電所』は『さんピンCAMP』のテーマ曲。BUDDHABRANDありきで進んでいたと思うんだ。石田さんから聞いたのかな。俺は『WildStyle』がどうのこうのとか、そういうことは知らなくてドキュメンタリー映画を作るのかなって思ってたから、そんなに音楽中心の内容だと思ってなくて。ライブがメインの映画なんだって、あとからわかったんだよ。」
SHAKKAZOMBIEから大神結成へ
SHAKKAZOMBIE側は、NaturalFoundationでの活動がうまくいかず、アンダーグラウンドな方向へ進みたいと考えていた時期でした。石田さんとの親交が深まり、cuttingedgeからのリリースへと繋がります。
ヒデボウイ:「石田さんとすごく親密になってきて、『cuttingedgeに来ちゃえば?』って言ってくれて、本根さんに顔を通してもらってみたいな流れだった。まずは1曲録ってみようよっていうので『手のひらを太陽に』を録った。で、1曲録ったらマキシシングルを作ろうかって話になって、すでにブッダと仲よくなっていたから『大怪我』ができたっていう流れなんですよね。」
石田さんを中心に、四街道ネイチャー、キミドリのイシグロくんらと交流を深める中で、「さんピンCAMP」の話が持ち上がりました。
ヒデボウイ:「『こういうイベントをやるから協力してよ』って。『さんピンCAMP』は石田さんが引っ張ってるから僕らはついていこうという感じでした。」
トップバッターを任された大神
大神がトップバッターに選ばれたのは石田さんとDEVLARGEの意図によるものでしょう。石田さんは「大怪我」のイントロが最適だと考えたようです。
CQ:「石田さんとDEVLARGEで、大神をトップバッターで出すことを周到に考えていたのかも。石田さんは『大怪我』のあのイントロパートがあったからよかったんだよ。あれで始まるのが正解だったんだと思う。で、『J-RAPは死んだ。俺が殺した』でしょ。」
ヒデボウイ:「あんなこと言うと思わなかったもんね(笑)。」
CQ:「すげえ気合い入ってるなと思った(笑)。」
野音でのパフォーマンス、そしてハプニング
大神にとって野音でのパフォーマンスは夢の舞台でした。しかし、ライブでは予期せぬハプニングも発生します。
NIPPS:「ずっと夢見てたよね。ニューヨークにいた頃から、いつかデカいところでやりたいって言ってて。野音でできることがうれしかった。」
ヒデボウイ:「キャロルと同じステージに立てるんだ!みたいな。ヒップホップバリバリのときだったけど、僕は1人だけ心の中で『おー、永ちゃんが立った場所だ!』みたいな気持ちがあった。」
ヒデボウイはステージ上で転倒してしまうアクシデントに見舞われましたが、NIPPSのナイスフォローで切り抜けました。
ヒデボウイ:「ステージに向かって両サイドにやぐらがあったんですよ。僕がカッコつけて飛び降りたら、床が濡れてたから滑って思いっきりケツから転んじゃったんですよ。そしたらデミさん(NIPPS)が僕の前にスライディングしてくれたんです(笑)。」
レコード2枚使いの裏側
当時、リハーサルは十分とは言えず、本番ではレコード2枚使いというスタイルが採用されました。DJMASTERKEYも苦労したようです。
CQ:「俺はエイベックスの会議室みたいなところで練習した記憶がある。」
ヒデボウイ:「全員でゲネプロを1回やったのは覚えてる。RHYMESTERとかMUROくんとか、みんないましたよ。」
NIPPS:「それ、覚えてないな。」
CQ:「絶対、俺ら練習してる姿とか、人に見せないもん。隠れて練習するタイプだから(笑)。」
DEVLARGEが「俺たちはトリだから、あとには引けない」とピリピリしていたため、ライブはレコードの2枚使いで決行されました。
NIPPS:「MC陣はすぐ話がまとまったはずだよ。ただ、やっちゃん(DJMASTERKEY)は技術に自信がなかっただけで。」
CQ:「活動を始めた当時は、他人のインストに乗せてラップすることが多かったからね。」
「さんピンCAMP」が残したものは?
「さんピンCAMP」は、日本のヒップホップシーンに大きな影響を与え、新たなファン層を開拓しました。大神のメンバーたちは、このイベントをきっかけに、それぞれの活動をさらに発展させていきました。
ヒデボウイ:「『さんピン』をきっかけに知ってもらえるようになったし。あとは『さんピン』以降、日本のヒップホップのファン層が広がったと思います。」
CQ:「『さんピンCAMP』が盛り上がったことで、みんなで盛り上げられるところまでいけるのかなっていうのはあったと思う。」
「さんピンCAMP」は、単なるイベントではなく、日本のヒップホップの歴史を彩る重要な出来事だったと言えるでしょう。
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