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児童養護施設で10年…ミュージシャン矢野デイビットが語る「父の愛」と「帰れない理由」

投稿日:2025年12月29日

ガーナ出身のミュージシャン、矢野デイビットさんが、8歳から18歳まで過ごした児童養護施設での経験と、への複雑な思いを語りました。現在はガーナに幼稚園と中学校を設立するなど活躍する矢野さん。その背景にある、家族との別れ、施設の生活、そして父の愛情について、CHANTOWEBのインタビューから紐解きます。

家族で日本へ、そして児童養護施設へ

矢野さんは6歳の時に家族で日本に移住。しかし、両親の別居を機に、父に引き取られたものの、父の仕事の都合で3兄弟を育てる余裕がなく、8歳から児童養護施設に入所することになりました。「父は誰よりも面会に来てくれていた」と矢野さんは語ります。月に1回、多い時には毎週のように施設を訪れ、自宅に泊まらせてくれることもあったそうです。

施設の配慮と、父の愛情表現

頻繁な面会に、施設の職員からは「他の子どもたちへの配慮」から、事前に連絡を入れ、姿が見えないように駐車場で待つように言われたこともあったそうです。施設には親に会えない子どもたちも多く、矢野さんたちの親密な関係が、他の子どもたちに「憎しみ」「暴力」の感情を引き起こす可能性を懸念したためです。

父との特別な時間

しかし、矢野さんにとって父との時間は「いちばん幸せだった」と言います。夏休みには1か月間自宅で過ごしたり、お盆休みには海や旅行に出かけたりと、思い出がたくさんあります。父は矢野さんの好きな漫画を調べたり、逆に自分の好きな甲子園に連れて行き、一緒に野球観戦をしたりと、共通の話題を探して積極的にコミュニケーションを取ろうとしたそうです。「どのチームが勝つか賭けて、『勝ったらレンタルビデオ屋で好きなアニメを借りていいよ』と言ってくれたり。今振り返ると、僕たちと共通の話題を探して、一緒に楽しく過ごせる工夫をしてくれていたんだなと思います。やさしい父でした」と矢野さんは振り返ります。

施設での生活は決して楽ではありませんでしたが、父の愛情と支えがあったからこそ、矢野さんは困難を乗り越え、今の自分に繋がったと言えるでしょう。「なぜ自分を施設に預けたのか」という幼い頃の疑問も、今では父の苦渋の決断だったと理解しているそうです。

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