コミケ会場の段ボールの正体は?同人文化を支えた会社『ポプルス』の知られざる50年
コミックマーケット(コミケ)の会場で見かける、かわいらしい猫のイラストが描かれた段ボール。これは、コミケとほぼ同時期に誕生し、同人文化を支えてきた印刷会社『ポプルス』のものなんです。2026年1月で設立50周年を迎えるポプルスの意外な歴史を紐解きます。
ポプルスのルーツは大学生たちの熱意!
ポプルスの始まりは、1975年。当時大学生だった法政大学漫研のメンバーたちが、自分たちで印刷機を購入しようと資金を集めたのがきっかけでした。「部誌の印刷費が賄えない」「自分たちで印刷すれば安く済むのではないか」という思いから、約120万円の印刷機を手に入れ、6畳一間のアパートで印刷業をスタートさせました。
資金集めには、法政大学を中心に、立教大、お茶の水女子大、駒沢大など全60~70のサークルが参加。漫研だけでなく、SF研や文芸系のサークルからも支援が集まりました。当初は大学サークルの印刷物を中心に手掛けていましたが、1974年に「ポプルス」と名称を変更し、1976年には株式会社化しています。
「昔は下手だった」それでも愛された理由
印刷機を導入したものの、印刷技術は「素人の集まり」だったとポプルス副社長の中澤美木氏(75)は振り返ります。「仕上がりは、正直あまり良くなかったと思います(笑)」と語る中澤氏。それでも、自分たちの作品が印刷される喜びは大きかったようで、「ジャンプみたいだ!」と感動してくれるサークルも多かったそうです。
1970年代後半から1980年代にかけては、ポプルス以外にも同人誌専門の印刷所が増加。コミケを通じて同人誌印刷の情報も広まり、個人でも同人誌制作が身近なものになっていきました。
アマチュアが集まって生まれた独自のポジション
印刷のプロ集団ではないアマチュアが集まって始めたポプルスは、大学ミニコミのブームにも乗り、文章主体の印刷物も多く手掛けていました。口コミで顧客が増え、50年という長きにわたって会社が続くことになったそうです。当初は印刷を生業にする意識も薄く、「本業の仕事をしながら、自分の漫画を描き、頼まれたら印刷もやる」というスタイルだったと言います。
ポプルスが本格的に印刷事業に向き合い始めたのは、1980年代以降。第2回のコミケから印刷の依頼が出始め、コミケの規模拡大とともに引き合いが増加しました。「物々交換みたいなものだった」という同人界隈のイベントが、一気に巨大化していったタイミングだったのです。
これからも、ポプルスは同人文化を支え続ける存在として、コミケ会場で見かける段ボールとともに、多くのクリエイターたちの夢を形にしていくことでしょう。
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