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織田信長は「平凡な戦国大名」?歴史学界の新説に東大教授が異議申し立て

投稿日:2026年01月05日

歴史学の世界で、織田信長の評価が大きく変わりつつあります。従来の「全国統一を目指した天才」というイメージに対し、近年では「室町幕府のナンバー2」という解釈が有力視されています。しかし、東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏は、この見解に真っ向から異議を唱えています。

「天下」の定義が変える信長像

本郷教授によると、近年の歴史学では「天下」という言葉が、日本全国ではなく京都および畿内の一地域を指すという説が有力になっています。つまり、「天下人」とは、畿内地域を統一した人物を意味するようになり、織田信長も他の戦国大名と同様に、畿内を制圧することを目指していたに過ぎないというのです。

この解釈では、信長が掲げた「天下布武」も、武力を用いて京都を中心とした畿内の秩序を制圧するという意味合いに変わり、全国統一を目指したという従来のイメージとは大きく異なります。

「天下布武」の印判と上洛

信長は、足利義昭を担ぎ上げ、上洛を果たしました。「天下布武」の印判を使い始めたのも、この頃からです。しかし、本郷教授は、信長が印判に竜を加えた「下り竜・天下布武」を使用するようになったのは、京都を支配下に置いた頃だと指摘します。これは、「天下」が畿内を指すという説を裏付ける根拠の一つとされています。

信長は、足利義昭を補佐するナンバー2として、室町幕府の秩序を守ろうとした人物と解釈することも可能です。そうなると、信長細川政元大内義興らと同様の「天下人」であり、普通の戦国大名と大差ないということになってしまいます。

池上裕子氏の研究が示した史料

この「信長ナンバー2論」の先駆けとなったのは、成蹊大学名誉教授の池上裕子氏です。池上氏は、「天下」という言葉が日本全国ではなく、京都とその周辺の畿内を指すという根拠となる史料を提示しました。例えば、上杉謙信武田信玄を退けた後、上洛することを「天下へ上洛」と表現していることが挙げられます。

豊臣秀吉小田原攻めの後に京都に帰還した際に「天下に帰ってきた」という言い方をしたことも、「天下」畿内を指すことを示唆する例として挙げられています。

織田信長の評価を巡る議論は、今後も歴史学界で活発に行われることでしょう。本郷教授の異議申し立ては、信長の真の姿に迫る新たな視点を提供しています。

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