ダイワメジャー追悼:2018年アーカイブス復刻版-皐月賞Vの栄光と、その先に待っていた苦難
2006年の皐月賞を制覇したダイワメジャー。その栄光の裏に隠された苦難を、過去の記録を基に振り返ります。競馬ファンにとって忘れられない名馬の軌跡を、改めてご紹介します。
新馬戦から皐月賞制覇までの道のり
ダイワメジャーは、2005年4月2日の新馬戦でデビュー。2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げ、その才能を垣間見せました。しかし、500万下では4着と苦戦。それでもスプリングSで皐月賞の優先出走権を掴み、悲願のG1制覇へと駒を進めます。
皐月賞当日、道営馬のコスモバルクが1番人気に推される中、ダイワメジャーはミルコ・デムーロとの新コンビで挑みます。好スタートから2番手を進み、1分58秒6という好時計でG1初制覇を果たしました。パドックでは、気性の面からシャドーロールやパシュファイヤーを装着するなど、試行錯誤の末に掴んだ栄冠でした。
当時の関係者は、「スプリングSは1勝馬だけど何とか出走できて、まだフラフラ走っていたけど、皐月賞の権利もギリギリ獲れた。10番人気だったけど、結構自信はありました。」と語っています。厩舎としてもG1初制覇という快挙でした。
栄光の陰に潜む苦難-喘鳴症との闘い
しかし、皐月賞の栄光も束の間、ダービーでは6着に敗れます。夏を無事越えたものの、秋初戦のオールカマーで9着最下位、続く天皇賞・秋でも最下位と、立て続けに大敗を喫してしまいます。その原因は、喘鳴症(ぜんめいしょう)でした。
喘鳴症は、気管支の疾患で、呼吸時にかすれた笛のような音を発する症状です。ダービーの頃から兆候はあったものの、夏場の放牧で気持ちが緩むと症状が悪化する可能性がありました。
手術と復活-白星への道のり
2戦連続の最下位という結果を受け、陣営は手術を決断。北海道・苫小牧市の社台ホースクリニックで手術を受けました。近年、手術技術の進歩により成功率が飛躍的に向上しており、手術は成功しました。
手術後、美浦に戻ったダイワメジャーは笛を吹くことはなくなりました。そして、5歳(現4歳)初戦となった復帰戦のダービー卿チャレンジトロフィーで、柴田善臣を背に、好位から早めに抜け出し、皐月賞以来、約1年ぶりの勝利を飾ります。上原師は「皐月賞と同じくらい嬉しい白星。牧場関係者もこれで幸せになれる」と喜びを語りました。
ダイワメジャーの物語は、栄光と苦難、そして復活という、競馬の魅力を凝縮したものでした。彼の勇姿は、今も多くの競馬ファンの心に刻まれています。
コメント一覧
まだコメントはありません。
← トップに戻る