Jリーガーの夢を諦め、日本代表の“頭脳”に!越智滋之氏、異色のキャリアを深掘り
日本代表を支える“影の頭脳”テクニカルスタッフ越智滋之氏とは?
サッカー日本代表のピッチ裏には、選手や監督とは異なる「頭脳」が存在します。対戦国の徹底分析、膨大な映像編集、そして試合中の戦術修正のヒントを客席最上段から送り続けるテクニカルスタッフ。アンダー世代の各カテゴリーでその最前線に立ってきたのが、現在30歳の越智滋之氏です。
指導部と選手の「通訳」として、試合の「1%」にまでこだわる彼の緻密な分析と献身的なサポートは、日本代表の戦い方に確かな影響を与え続けています。
Jリーガーの夢、挫折、そして新たな道へ
越智氏は5歳からサッカーを始め、幼い頃からの夢はJリーガーになることでした。中学時代にはクラブチームで全国大会を経験するも、控えに回ることが多く、ユースや私立強豪校ではなく公立高校を選び、サッカーを体系的に学びます。
「Jリーガーになれる可能性、大学トップレベルの試合に出られるなら」と、1年間の浪人を経て筑波大学に進学。1年時は三軍で経験を積み、2年からトップチームに呼ばれるようになりました。しかし、大学3年を“人生をかけた勝負の年”と位置付けた越智氏の前に立ちはだかったのは、同期の中野誠也選手(現ヴァンラーレ八戸)、北川柊斗選手(現レイラック滋賀FC)の活躍、そして後輩の三笘薫選手(現ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC)というスーパールーキーの存在でした。
「大学3年の1年間で、関東1部リーグ戦に出られなかったら夢を諦めよう」とすべてをサッカーに注ぎましたが、出場できたのはわずか1試合。目の前でチームがインカレ優勝を飾り、中野選手が得点王に輝く姿を見て、「私がJリーガーになるのは無理だ」と、プロへの道を断念する決意を固めたのです。
恩師の言葉が転機に「自分の武器を見つけろ」
プロの道を断念した越智氏は、大学院進学を決意。選手としてではなく「指導者」としてJリーグや日本代表に関わることを新たな目標に掲げ、第二のサッカー人生へと舵を切りました。
大学院1年時には、筑波大学蹴球部のトップチームコーチに就任。監督や選手とのミーティング、対戦相手の戦略ミーティングにも同席しましたが、現場で求められるレベルとのギャップに直面し、「なにも貢献できていない」と悩む日々が続きます。そんな彼に、蹴球部の小井土監督からかけられた言葉が、越智氏の方向性を大きく変えることになります。「越智はプロ選手としての経験がない。だからこそ、自分の武器が何かを見つけろ」
この言葉を受け、越智氏は指導者として何ができるのか、何を武器にするのかを必死に考え始めました。その日から、練習メニュー全体の設計、自チームの振り返り資料作成、選手のGPS数値分析などを独学で学び、積極的にチームへ還元するようになったのです。
U-19大学選抜への挑戦と運命の出会い
大学院1年の6月、越智氏はトップチームに向けた戦略ミーティングで、初めて“指導者としてのミーティング”を経験します。この経験が彼の自信となり、まもなくして大学サッカー連盟がU-19大学選抜に帯同するテクニカルスタッフを募集していると知り、「殻を破りたい」という強い思いで立候補。自身のミーティング動画を提出した結果、見事に選出されることになります。
そして、このU-19大学選抜の遠征で、越智氏の人生における大きな転機となる出会いが待っていたのです。彼の異色のキャリアは、ここからさらに加速していきます。
コメント一覧
まだコメントはありません。
← トップに戻る