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森永卓郎さん「死ぬつもりがなかった」妻が語る壮絶闘病と仕事への執念【膵臓がんステージ4からの戦い】

投稿日:2025年11月30日

経済アナリストとして、テレビやラジオで大活躍された森永卓郎さんが、2025年1月に惜しまれつつも逝去されました。2023年末に末期がんで余命宣告を受けたことを公表されていましたが、なんと妻の弘子さんによると、「本人はまったく死ぬつもりがなかった」のだとか。今回は、森永さんの壮絶な闘病生活と、そこにあった仕事への情熱、そして家族の深い愛情に迫ります。

まさかの膵臓がんステージ4!宣告までの経緯

2023年の初夏、森永さんは背中の痛みを訴え、当初は持病の尿路結石と思われていました。駅前の内科クリニックを受診するもはっきりせず、総合病院での精密検査を勧められます。
しかし、痛みが引いたことで検査を面倒に感じた森永さんは、そのまま病院に行かなくなってしまいました。ですが、この時にはすでに、彼の体内で異変が起きていたのです。
同年10月、糖尿病の定期健診で「体重が減りすぎている」と指摘され、念のために受けた人間ドックで、衝撃の診断が下されました。それは「膵臓がんステージ4、来年の桜は見られないかもしれない」という、まさに絶望的な宣告でした。
弘子さんはショックで動揺したものの、森永さん本人は意外にも「ああ、そうなの」と淡々とした様子で、いつもの仕事に戻っていったそうです。

苦渋の選択!仕事を選んだ抗がん剤治療の中止

病が判明しても、森永さんの仕事への情熱は衰えませんでした。抗がん剤治療が始まる当日も、午前中のラジオ生放送を終えてから病院へ向かったほどです。
しかし、点滴を終えて帰宅した翌日からは、ひどい吐き気や倦怠感に襲われ、起き上がることも食べることも、話すことすら困難な状態に陥ってしまいました。
そんな中で森永さんが最も苦しんだのは、思考能力が失われてしまったこと。「これでは原稿が書けない。抗がん剤治療はやめる」と、彼は自ら治療の中止を決断。仕事への強い執念がうかがえる、苦渋の選択でした。

執筆への情熱と奇跡の一時的回復

抗がん剤治療中止後、とあるクリニックで受けた栄養剤の点滴により、森永さんの体調は一時的に回復しました。その後入院した総合病院では、9割がた書き上げていた単行本の結論部分を、次男が口述筆記でサポート。親子二人三脚で本の完成にこぎ着けたのです。
しかし、入院生活にも森永さんならではのこだわりがありました。病室での看護師の出入りや検査、食事による作業中断に耐えかね、「集中できない。退院する」と騒ぎだし、家族やマネージャー、果ては院長先生をも巻き込んで「家に帰る」と駄々っ子のように言い張ったそうです。

希望を繋いだ免疫療法と家族の支え

その後、森永さんは原発不明がんと診断され、免疫療法薬「オプジーボ」が保険診療で受けられることに。同時に、自費診療で血液免疫療法もスタートしました。
「来年の桜は見られないかもしれない」と宣告されたにもかかわらず、これらの治療と、何よりも家族の温かい支えによって、森永さんは奇跡的に桜の季節を越えて生き続けることができました。
森永さんの「死ぬつもりがなかった」という強い生きる意志と、最後まで仕事に情熱を傾けた姿は、私たちに多くのことを教えてくれますね。

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