3.11あの日の決断が今を支える…ビーチサッカー選手・大槻陽平さんの15年
2011年3月11日。東日本大震災から15年。東京を拠点にビーチサッカーチームで活躍する大槻陽平さん(24歳)は、あの日の記憶を胸に、日々ピッチを駆け抜けています。宮城県東松島市野蒜出身の大槻さんを救った、“命を救った判断”とは一体何だったのでしょうか?
震災時、小学3年生だった大槻さん
砂の上でボールを巧みに操る、ビーチサッカーチーム東京ヴェルディ所属の大槻陽平さん。リーグ優勝を目指すプロの選手ですが、15年前のあの日、彼は命の危機に直面していました。
「得点をもっと取って、よりチームを勢いづけられる選手になりたい」と語る大槻さん。震災当時、小学3年生だった彼は、仙石線の列車内で大きな揺れに襲われました。
午後2時46分発車、数十秒後の激震
2011年3月11日午後2時46分、野蒜駅から下り方面へ出発した列車は、わずか数十秒後に激しい揺れに見舞われ、約600メートル先で緊急停車しました。大槻さんの証言です。
「電車が2時46分に発車して、地震も2時46分だったんです。こっちに野蒜小があったんですけど、避難しようとして、『ここにとどまった方が良い』と地元の人が言ったおかげで、電車の中にとどまることになりました。」
避難場所への津波直撃、そして…
もともと避難しようとしていた野蒜小学校には、津波が押し寄せ、甚大な被害が出ました。また、同じ時刻に野蒜駅を発車した上り列車は、津波の直撃を受け、“くの字型”に横転するという悲劇に見舞われました。
しかし、大槻さんの乗っていた列車は、小高い丘で緊急停車したため、津波から逃れることができたのです。車内に留まるという判断が、結果的に彼の命を救ったのでした。
「家族に会いたい」不安な時間、そして再会
「率直に怖かった記憶があります。電車の中にいたときはすごく不安で、家族に会いたいとずっと思っていました。」
大槻さんの母親、由季さんは、その日の夜に息子と再会することができました。
「次の駅まで探しに行ったけど、そこにはまだ来ていなかったんです。電車が山の間に止まっていると教えてもらって。見つかった、陽平が生きてるんだと分かって…」
大槻陽平さんのビーチサッカー選手としての活躍は、あの日の“命を救った判断”と、家族の愛情に支えられているのです。震災の記憶を胸に、彼はこれからもピッチで輝き続けるでしょう。