河野洋平元衆院議長が89歳で死去 自民党総裁や外相を歴任した政治家人生を振り返る
政界で長く活躍し、自民党総裁や衆院議長を務めた河野洋平氏が、8日に89歳で亡くなったことが分かりました。長男にはデジタル担当大臣などを歴任した河野太郎氏がおり、親子二代にわたる政治家としての活動は広く知られています。
新自由クラブの結成から「首相にならなかった総裁」まで
神奈川県出身の河野氏は、早稲田大学を卒業後、父である河野一郎元農相の急逝に伴い1967年の衆院選で初当選を果たしました。キャリアの中でも注目すべきは、かつて田中角栄元首相の金脈問題を厳しく批判し、自民党を離党して新自由クラブを結成したことでしょう。その後、自民党への復党を経て、1993年には自民党の第16代総裁に就任しました。当時の細川護熙首相との合意により、現在採用されている「衆院小選挙区比例代表並立制」の導入を決定づけたことは、日本の選挙制度における大きな転換点として歴史に刻まれています。
歴史に名を残す「河野談話」とその影響
河野氏の政治経歴において、最も大きな議論を呼んだのが宮沢内閣の官房長官時代に発表した「河野談話」です。1993年に旧日本軍による慰安婦問題について、募集の強制性を認める趣旨の談話を発表しました。この談話は現在に至るまで、歴史認識を巡る国内外の議論で繰り返し引用されるなど、大きな影響を及ぼし続けています。
衆院議長として政界を引退するまで
自民党総裁でありながら首相の座にはつかないという異例のキャリアを歩んだ河野氏は、その後、副総理兼外相や小渕・森両内閣での外相を歴任しました。2003年には第71代衆院議長に就任。2009年に政界を引退するまで2029日間にわたって議長を務め、国会の運営に尽力しました。長きにわたり日本政治の最前線で活動した河野氏の訃報に対し、各界から追悼の声が寄せられています。