伝説の高速戦艦「霧島」進水!最前線で戦い抜いた“金剛型”の秘密に迫る!
今から112年前の1913年12月1日、旧日本海軍の戦艦「霧島」が進水しました。第二次世界大戦で活躍した「金剛型戦艦」の4番艦として、数々の作戦に参加。旧式ながらもアメリカ海軍の新型戦艦と激突するなど、波乱万丈の艦歴で知られています。今回は、そんな「霧島」の魅力と知られざるエピソードを深掘りしていきましょう!
「榛名」と“まさかの”同時竣工!国産戦艦の知られざるドラマ
「霧島」は、同型艦の「榛名」とともに、国内の民間造船所で初めて建造された戦艦なんです。
竣工日は、なんとどちらも1915年4月19日!「霧島」は三菱重工、「榛名」は川崎重工が担当しました。
この同時竣工には、ちょっとしたドラマがあったと言われています。両社が建造の進捗をめぐって激しく競争し、遅れをとった「榛名」の機関製造の担当者が自刃するという悲劇が起こってしまったんです。海軍が両社に配慮した結果、同じ日に竣工させることになった、とされています。まさに、日本の造船技術の歴史を刻んだ一隻と言えるでしょう。
実は“山”の名前だった?!金剛型戦艦のユニークなネーミング
日本の戦艦って、「大和」や「長門」みたいに旧国名が付けられているイメージが強いですよね?
でも、金剛型戦艦の4隻(金剛、比叡、榛名、霧島)はちょっと違います。実は元々「装甲巡洋艦」として設計されたため、一等巡洋艦の「山岳名」に由来しているんです。
「巡洋戦艦」というのは、戦艦と比べて防御力は少し劣るけれど、速力は勝る大型の戦闘艦のこと。でも、時代とともにその区別は曖昧になり、金剛型も後に「戦艦」へと艦種変更されることになります。
旧式から最前線へ!「霧島」を支えた2度のスーパーリフォーム
「霧島」が竣工した頃は第一次世界大戦の真っただ中。デンマーク沖のユトランド沖海戦で得られた教訓を元に、日本も軍艦の建造にその知見を反映させました。「霧島」も例外ではなく、2度もの大規模な近代化改修を受け、生まれ変わります。
- 1回目(1930年):主に防御力が強化されました。この後、「霧島」は昭和天皇が乗艦される「御召艦」という大役も果たしています。翌年には正式に「戦艦」となりました。
- 2回目(1936年):主に機関が強化され、出力アップ!速力はなんと約30ノット(約54.0km/h)に向上しました。この高速性能のおかげで、空母機動部隊と一緒に航行することが可能に。
第二次世界大戦時には旧式化していたため、「大和」や「長門」のように温存されることなく、最前線でバリバリ活躍することになったのです。
いざ実戦へ!真珠湾攻撃から始まった「霧島」の激動の戦い
「霧島」が本格的な戦闘に参加したのは1941年12月の真珠湾攻撃からでした。同型艦の「比叡」とともに、空母機動部隊を護衛するという重要な任務を遂行。
1942年3月には、クリスマス島沖でアメリカ海軍の駆逐艦「エドソール」を発見し、「比叡」と共に撃沈しています。ガダルカナル島をめぐる激戦でも活躍するなど、「霧島」の激動の戦いはまだまだ続くのでした。
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