震災から15年…俳優・村上弘明が語る「想定外ではない」防災の真実
東日本大震災から15年。岩手県陸前高田市は、高さ18メートルの大津波によって1700人以上の尊い命が失われました。俳優の村上弘明さんは、故郷の陸前高田市を想い、この節目を静かに受け止めています。震災の記憶を風化させず、次の世代へ伝えることの重要性を訴えます。
震災直後の混乱と家族への想い
2011年3月11日、村上さんは妻の運転する車で娘の卒業パーティーに向かう途中でした。突如として激しい揺れに襲われ、首都直下地震を疑ったものの、ラジオから三陸沖が震源地だと知ります。すぐに両親に電話をかけたものの、繋がることはありませんでした。
「気が気じゃなくて、まともに眠れませんでした。疲れて目を閉じたら、何度も『地震なんてなかった、大丈夫だった』という短い夢を見て、すぐに目が覚める。夢かうつつか、その繰り返しでした」
連絡が取れないまま4日が経過。ようやく母親の声を聞けたのは震災から4日後でした。特設の電話から届いた母親の声は、想像以上に元気でした。夫婦で買い物に出かけた際に地震に遭遇し、帰路の渋滞に巻き込まれたとのこと。自宅に戻ることができず、知人の家に身を寄せているという状況でした。
漁師町で育った村上さんが語る津波の教訓
陸前高田市広田町で生まれ育った村上さんは、幼い頃から海と共に生活してきました。父親は自転車店の経営と並行してワカメの養殖を手掛け、春の収穫期には家族総出で海へ出ていました。「広田町は漁師町ですから、津波の教訓が代々受け継がれていてほとんどの民家や道路は高台にあります」と語ります。
しかし、大震災で被害を受けたのは、主に海沿いにある作業場や倉庫でした。村上さんは、「壊滅的な町の様子も、訪れた避難所で交わした会話も、まるで昨日のことのように覚えています」と震災の記憶を振り返ります。
「想定外ではない」今、訴える防災の“本質”
震災から15年。震災後に生まれた子どもたちが15歳になる今、村上さんは記憶を次の世代にどう受け継ぐか真剣に考えています。「想定外ではない」と語る村上さんは、防災の“本質”とは何かを問いかけます。それは、過去の教訓を忘れず、日頃から備えを怠らないこと。そして、何よりも大切なのは、「家族や地域との繋がりを大切にすること」だと訴えます。
震災の記憶を風化させず、防災意識を高めるために、村上弘明さんの活動は今後も続いていくでしょう。