孫呉No.1の猛将・甘寧!無頼の徒から成り上がった英雄の魅力に迫る
「一番乗り!」「鈴の甘寧」…三国志ファンなら誰もが知る、呉の猛将・甘寧。その生涯は、波乱万丈そのもの。今回は、甘寧の知られざる魅力と、彼がなぜ今も愛されるのかを徹底解剖します。
甘寧、その出自と若き日の荒くれ者時代
甘寧は、現在の中国・重慶市に当たる巴(は)から生まれた人物。中国の強さランキングでは、なんと17位にランクイン!呉の武将の中では、孫策や太史慈に次ぐ実力者だったことがわかります。
しかし、甘寧の若い頃は、役人として働くことに飽き足らず、すぐに官職を捨ててしまいます。遊侠を好み、派手な格好で仲間たちを引き連れ、「甘寧の一味だ」と人々から恐れられた存在でした。強盗や傷害事件も辞さず、清水の次郎長のような任侠親分として名を馳せたのです。
そんな荒くれ者だった甘寧ですが、読書に励み、勉学にも励む一面も持ち合わせていました。役人上がりということもあり、インテリな部分も持ち合わせていたのです。
孫権との出会いと、数々の武功
荊州の劉表に頼ったものの、武よりも文を重んじる劉表とは相性が悪く、下流の夏口までたどり着いた甘寧は、黄祖の元で3年ほど過ごします。しかし、最終的には孫権のもとへ亡命。孫権に歓待され、「まず荊州を押さえ、益州をとりましょう」という戦略を語り、周瑜の「天下二分の計」にも賛同しました。
その後、甘寧は赤壁の戦いや荊州攻略戦などで数々の武功を立てます。中でも、215年の合肥の戦いにおける皖城攻略戦での活躍は圧巻。敵将・朱光を捕らえる「甘寧一番乗り!」の姿は、今も多くの人々に語り継がれています。
義理人情に厚い、甘寧の人間性
甘寧は、敵将にも義理人情を忘れない人物でした。蘇飛の助命嘆願を忘れなかったことや、仇敵である凌統と因縁を乗り越えて親交を深めたことからも、その人間性がうかがえます。もし劉備陣営の関羽や張飛と出会っていたら、意外と気が合ったかもしれない、というエピソードも興味深いですね。
曹操軍の猛将・張遼に孫権が窮地に陥った際には、凌統と協力して主君の脱出を助け、濡須口への侵攻時には夜襲を仕掛けて曹操軍を混乱させました。孫権は「孟徳(曹操)には張遼がいて、私には甘寧がいる。釣り合いがとれているな」と、甘寧の活躍を絶賛したそうです。
甘寧は、その波乱万丈な人生と、武勇だけでなく義理人情にも厚い人間性で、今も多くの人々に愛され続けているのです。
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