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東映アニメの伝説!会長が語る『マジンガーZ』が変えたアニメ業界の歴史と未来

投稿日:2025年11月27日

東映アニメーション、そのルーツは戦後復興期から!

戦後間もない1950年代、まだ日本が焼け野原だった時代に、アニメの可能性を信じた東映・大川博社長の決断から始まった東映アニメーション(旧・東映動画)。当時の日本経済を考えると、その先進性には驚きを隠せませんね。
アメリカから高価な機材を輸入し、「東洋のディズニー」を目指したという壮大なビジョン。そして、海外展開を見据えた「東映動画」から「東映アニメーション」への社名変更も、戦略的な一歩だったと、現在の代表取締役会長である森下孝三氏は語ります。

カラーテレビ普及が後押し!国産TVアニメ黎明期の舞台裏

1964年の東京オリンピックを機にカラーテレビが爆発的に普及し、アニメ業界は新たな時代を迎えました。
それまで海外アニメ頼りだったテレビ放送に、国産アニメの需要が急増!
映画製作が衰退する中で、映画からテレビへとアニメーターが流れ込み、東映アニメーションは映画製作のノウハウを活かした大規模なスタジオへと成長していきました。
森下会長が入社した1970年頃は、まさにそんな激動の時代だったんですね。

『マジンガーZ』がアニメビジネスを一変させた!版権収入の革命

東映アニメーションの歴史における最大のターニングポイントとして森下会長が挙げたのが、なんとあの『マジンガーZ』です!
作品そのものも伝説的ですが、それ以上に重要なのは、バンダイとの画期的なロイヤリティ契約でした。
「グッズが1個売れたらいくら」というロット型契約は、それまでの赤字経営を劇的に改善し、アニメの版権ビジネスの基礎を築いたんです。
今では当たり前の「放送と同時におもちゃが買える」スピード感も、『マジンガーZ』が切り開いた道だったなんて、驚きですよね。

「ドラゴンボール」のプロデューサーも!森下会長が語るクリエイターへの想い

演出家として『キューティーハニー』や『聖闘士星矢』を手がけ、その後企画部で『ドラゴンボール』のプロデューサーとしても活躍した森下会長。
荒木伸吾さん、小松原一男さん、湖川友謙さんといった伝説的アニメーターたちとの出会いが、ご自身の成長に繋がったと振り返ります。
「上手な人とやらなければ自分が成長しない」という言葉は、クリエイターを目指す若者たちにも響く金言ですね。

東映アニメーションの最強の武器は「ライブラリー」!

東映アニメーションが持つ最大の強み、それは「膨大なライブラリー(作品の著作権)」だといいます。
なんと製作費を回収できていない作品のほとんどを、後の版権ビジネスでカバーしているとのこと。
『一休さん』のように海外で再評価され、製作費を回収するケースもあるそうですよ。
年間約250話もの作品を制作し続けることで、この貴重な資産を増やし続けているんですね。
この盤石な基盤があるからこそ、社員は新しいチャレンジができ、会社も成長を続けられるというわけです。

失敗を恐れない挑戦のDNA!未来へ向かう東映アニメ

「失敗した作品もライブラリーの1つになる」と語る森下会長ですが、悔いが残る作品として映画『アシュラ』を挙げました。
しかし、その経験から「1作で終わらせず、IPとして育てていく重要性」を力説しています。
『THEFIRSTSLAMDUNK』の製作秘話からもわかるように、困難な挑戦にも臆することなく、粘り強く取り組む姿勢が東映アニメーションのDNAとして受け継がれています。
創立70周年を目前に控え、これからも私たちをワクワクさせてくれる作品を届け続けてくれるでしょう!

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