写真で振り返る激動の昭和100年…戦争、ベビーブーム、モーレツ社員、そしてキリンのタカオ
2026年は「昭和100年」の節目。4月29日の「昭和の日」を前に、激動の時代を写真で振り返ります。戦前・戦中・戦後、大きな変化を遂げた昭和の記憶を、改めてAERAが伝えます。
昭和の時代を象徴する風景
1960年、東京・世田谷の経堂駅近くにある農大通りを、バスが狭い道を走る様子が捉えられています。当時はまだ道路が狭く、バスが通ると泥水が跳ねるほどだったとか。翌年に舗装されたものの、こうした風景は当時の東京では珍しくありませんでした。
60年代に入ると高度経済成長が始まり、自動車が急増。交通事故も増加し、「交通戦争」と呼ばれるほど深刻な状況でした。しかし、人々はそれでも前向きに生きていたのです。
戦後の復興と「モーレツ社員」
昭和の時代は1926年から62年間続きました。戦後の復興を支えたのは、第1次ベビーブーム(47年~49年)で生まれた約805万人の若者たち。特に49年には269万7千人もの赤ちゃんが生まれ、2025年の70万5千人と比べると約3.8倍という驚異的な数字です。
このマンパワーこそが、日本の経済成長を支えた原動力となりました。高度経済成長を支えた「モーレツ社員」たちは、熱海の温泉宿で英気を養っていたのかもしれません。しかし、その後のバブル崩壊や不況を知る由もなかったのです。
戦争の傷跡と平和への願い
太平洋戦争では、約310万人の日本人が亡くなりました。広島・長崎への原爆投下では推定21万人が犠牲となり、沖縄戦では約20万人の命が奪われました。福岡市も空襲を受け、1千人以上の死者・行方不明者を出しています。
戦争では動物たちも犠牲になりました。猛獣が逃げ出し、人を襲う危険性から、全国の動物園で猛獣の殺処分が命じられたのです。
平和の象徴、キリンのタカオ
終戦から7年後の1953年、ケニアからキリンのタカオが上野動物園にやってきました。その悠然とした姿は、人々にとって平和の喜びを象徴するものだったでしょう。タカオは日本中で人気を集め、27歳で功労動物として表彰されました。80年に31歳で亡くなりましたが、今でも上野の国立科学博物館で全身骨格標本が展示されています。
体長約4.5メートルのタカオの目に、昭和はどんなふうに映っていたのでしょうか。タカオの存在は、戦争の傷跡を癒し、平和への願いを込めた象徴として、人々の心に深く刻まれています。