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【8月15日】終戦記念日、千鳥ケ淵戦没者墓苑で平和を祈る人々の姿
静かな祈りに包まれた千鳥ケ淵
8月15日、今年も終戦記念日を迎えました。東京都千代田区にある千鳥ケ淵戦没者墓苑には、朝早くから多くの人々が訪れ、戦争で亡くなった方々へ花を手向ける姿が見られました。
日本最高齢だった111歳が遺した「戦争の記憶」―「いつまでも記憶しとくもんじゃない」という真意とは
111歳で永眠。激動の時代を駆け抜けた水野清隆さんの人生
今年2月、111歳という天寿を全うされた水野清隆さん。かつて日本国内最高齢の男性として注目を集めた彼は、大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生き抜いた「生きる歴史」そのものでした。1914年(大正3年)生まれの水野さんは、日本史の教科書にも載るような重大事件の渦中にいた経験を持っています。20歳で軍の最精鋭である近衛兵となった彼が語ったのは、教科書には載っていない「個人のリアルな記憶」でした。
終戦から81年。なぜ今、「戦争の歴史」を学び直す必要があるのか?
遠い過去の話ではない。今も続く「戦火」と私たちの教訓
今年2月、イラン南部で起きた学校への爆撃により、多くの児童が犠牲となりました。この悲劇のニュースを聞き、福岡県のかつての大刀洗飛行場周辺で起きた「頓田の森」の悲劇を思い出した方も少なくないはずです。先の大戦末期、避難先にいた子どもたちが空襲で命を落としたその事実は、現代の国際情勢と決して無関係ではありません。世界各地で続く紛争は、過去の教訓を私たちが忘れかけていることを示唆しています。終戦から81年が経った今、記憶を風化させず、平和について考えることは、私たち一人ひとりに課せられた重要な使命です。
「今になって考えてばかばかしい」旧帝国陸軍カメラマンが残した2000枚の「戦争の現実」とは
戦場の最前線でシャッターを切った小柳次一さんの記録
8月15日の終戦の日を前に、私たちは改めて「戦争」について向き合う必要があります。今回は、晩年を宮崎県川南町で過ごし、かつて旧帝国陸軍の報道カメラマンとして激戦地を駆け抜けた小柳次一さんの物語をご紹介します。小柳さんが戦場に残した約2000枚もの写真は、今の私たちにどのようなメッセージを伝えているのでしょうか。
「行きは一等船、帰りはみじめ…」終戦から81年、89歳女性が語る壮絶な引き揚げの記憶
華やかな渡航から一転。89歳が見た「引き揚げ」の過酷な現実とは
太平洋戦争の終戦から81年。かつての日本の植民地であった朝鮮半島や中国大陸などから、戦後に日本へと戻った「引き揚げ者」はおよそ319万人にのぼります。平和な日常がある日突然壊され、極限状態での帰国を強いられた人々。金沢市に住む野村浩子さん(89)が、幼い頃の記憶を辿りながら、二度と繰り返してはならない「戦後の過酷な現実」を語ってくれました。
8月15日に問われるリーダーの言葉。高市首相の「戦争観」が注目される理由
戦争の記憶が薄れる今、首相の発信力が重要に
8月15日は「終戦の日」です。戦後79年が経過し、戦争体験者が激減する中で、当時の凄惨な出来事や日本が加害者であった側面は、私たちの記憶から少しずつ遠ざかろうとしています。かつて田中角栄元首相が「戦争を知らない世代が国の中核になる時が怖い」と語った通り、歴史を正しく継承していくことは、今の日本にとって非常に重要な課題です。政府主催の全国戦没者追悼式で、首相がどのような言葉を紡ぐのか、その「発信力」と「戦争観」が今、改めて注目されています。
「戦争の無残さを次世代へ」90歳の著者が綴った自分史『大陸の風』が8月15日に出版
壮絶な満州引き揚げ体験を詩歌で語り継ぐ
三重県四日市市在住の松本康さん(90)が、自身の戦中・戦後の記憶を綴った自分史『大陸の風』を自費出版しました。10歳の時に満州で敗戦を迎え、ソ連軍の侵攻や家族との引き揚げ、そして父との別れ。幼い頃の過酷な体験を、当時詠んだ短歌や俳句、詩などを交えて一冊にまとめ上げました。
小泉進次郎防衛相が靖国神社を参拝 終戦記念日の動きを解説
8月15日の靖国神社参拝、何がポイント?
8月15日の終戦記念日に、小泉進次郎防衛大臣が東京・九段北にある靖国神社を参拝しました。毎年この時期になるとニュースで必ず耳にする「靖国参拝」ですが、なぜこれほど注目されているのでしょうか。今回は、若年層の方にも分かりやすく今回のニュースの背景を解説します。
高市首相の「非核三原則」発言に隠された真意とは?被爆地でのスピーチが物議
「堅持しており」に込められた意味は?高市首相の言葉のチョイスに注目が集まる
8月6日の広島、9日の長崎で行われた「原爆の日」の式典。高市早苗首相が述べた挨拶の中で、特に注目を集めているのが「非核三原則を堅持しており」というフレーズです。一見すると当たり前の言葉に聞こえますが、ネット上では「なぜ今、あえて『しており』という言葉を使ったのか?」と、その意図を深読みする声が絶えません。現時点での約束にとどまるのか、それとも別の含みがあるのか、言葉の端々から読み取れる微妙なニュアンスが議論を呼んでいます。
【戦後81年】平均年齢21.6歳、彼らは何を思い散ったのか。「知覧」に残された1036人の特攻隊員の叫び
「生きたかった」—特攻隊員の遺書に刻まれた、あまりに純粋で切実な家族への思い
81年前の日本、敗戦の色が濃くなる中で、平均年齢わずか21.6歳の若者たちが特攻隊員として空へ飛び立ちました。彼らの多くは「お国のため」と決死の覚悟で出撃しましたが、その胸中には、母への深い愛や、恋人との未来、そして言葉にならない「生きたかった」という叫びが隠されていました。鹿児島県南九州市の「知覧特攻平和会館」には、当時出撃を控えた隊員たちが過ごした「三角兵舎」の様子や、家族へ宛てた遺書・手紙が今も大切に保管されています。これらの資料は、単なる歴史の記録ではなく、命の尊さと平和の意味を現代の私たちに問いかける、非常に重いメッセージです。