大河ドラマ『豊臣兄弟!』に繋がる、六角氏と佐々木氏の600年興亡の歴史を紐解く
2024年の大河ドラマ『光る君へ』や、最新作『豊臣兄弟!』に登場する武家、六角氏。そのルーツは意外な人物に遡り、平安時代から室町時代にかけて、佐々木氏として大きな影響力を持っていた一族です。今回は、大河ドラマをきっかけに、六角氏・佐々木氏の600年にわたる興亡の歴史を分かりやすく解説します。
『光る君へ』源倫子の弟から始まる物語
『光る君へ』で益岡徹さんが演じた左大臣源雅信。その子孫の中に、武士として生きる道を選んだ源扶義がいました。源扶義は、都で蔵人頭や諸国の受領を務めましたが、その子孫が佐々木氏へと繋がっていきます。
平安時代末期、保元の乱や平治の乱で源義朝の配下として活躍した佐々木秀義は、宇多天皇から8代先の子孫にあたります。秀義は、後に有力武士として台頭し、清和源氏の棟梁源為義の娘を娶るなど、勢力を拡大していきます。
『草燃える』に登場する四兄弟
1180年の源頼朝の挙兵には、佐々木秀義の四兄弟が参陣。定綱、経高、盛綱、高綱の四兄弟は、頼朝の武将として活躍し、その勇敢さは『吾妻鏡』にも記されています。特に、佐々木定綱は、頼朝から直接信頼を寄せられた武将の一人でした。
また、豪雨の中での遅参や、堤信遠を討つ際の先陣争いなど、数々のエピソードが『吾妻鏡』や『平家物語』に残されており、その武勇は後世に語り継がれています。
六角氏、京極氏の祖となる定綱
四兄弟のうち、後世の六角氏、京極氏の祖となるのは、嫡男定綱の流れです。定綱の子孫は、近江国を拠点に六角氏として勢力を拡大していきます。一方、次男経高は、承久の乱で後鳥羽上皇側に与し、敗北しました。
織田信長との関わり
室町時代、六角氏は近江国を支配する有力守護大名でしたが、織田信長の上洛の際に、その勢力は衰退していきます。大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも、浅井長政の「長」の字が織田信長からの偏諱であることが示唆されるように、六角氏は織田信長の影響下に入っていきました。
六角義賢は、浅井賢政(後の浅井長政)に「賢」の字を与えており、その繋がりも興味深い点です。しかし、最終的に六角氏は織田信長に敗北し、その居城であった観音寺城も落城しました。
このように、六角氏・佐々木氏は、平安時代から室町時代にかけて、日本の歴史に大きな足跡を残した一族です。大河ドラマをきっかけに、その波乱万丈な歴史に触れてみてはいかがでしょうか。