1500年の時を超え再会!新羅の雄鶏狩り、高句麗軍を殲滅した謎を解き明かす石碑の秘密
約1500年前の5世紀、新羅と高句麗の激しい攻防があった時代。その歴史の謎を解き明かすかもしれない、驚くべき発見がありました。なんと、83年の時を経て、慶州の月城で発見された2つの石碑の破片が、一体のものであったことが判明したのです!
83年の時を超えた奇跡の再会
1937年と2020年、月城の西側と北西側の堀の排水路でそれぞれ発見された石碑の破片。国立慶州博物館と国立慶州文化遺産研究所で別々に保管されていましたが、その正体は不明でした。しかし、2023年2月11日に開催された専門家フォーラムで、この2つの破片が元々一体であったことが明らかになったのです。
石碑に刻まれた文字は、ほとんどが5世紀初頭の高句麗・広開土王碑に記された文字と酷似しており、隷書体も同じであることが判明。まるでパズルのピースが組み合わさるように、文字がピタリと一致し、驚きをもって迎えられました。
「雄鶏狩り」の暗号と新羅の奇策
石碑の銘文から読み解かれたのは、新羅王・訥祇麻立干(ヌルジ・マリプカン)が464年に下した「雄鶏をすべて捕らえよ!」という奇妙な命令。これは、新羅に駐留していた高句麗の精鋭兵士100人を指す暗号であり、新羅はこれを機に、油断していた高句麗兵を皆殺しにしたのです。
この事件の発端は、休暇で故国へ帰る高句麗兵が、新羅人の御者に「新羅は間もなく高句麗により滅びるだろう」と打ち明けたこと。この情報を聞きつけた訥祇は、覚悟を決めて高句麗軍の排除作戦を実行に移しました。
高句麗の報復と新羅の勝利
高句麗の長寿王は、この事件に激怒し、復讐のために軍を進撃させましたが、江原道の悉直谷(現在の三陟)などで新羅軍に阻まれ、攻略は失敗に終わりました。この勝利により、新羅は高句麗の干渉から脱し、古代王国へと躍進していくことになります。
『日本書紀』にも記録された「雄鶏狩り」
この「雄鶏狩り」の命令は、日本の歴史書『日本書紀』にも記録されていますが、韓国国内の史書には全く記載がありませんでした。高句麗の広開土王陵碑に記された新羅南征の記録と合わせて読むことで、その背景や意味がより深く理解できるのです。
今後の研究への期待
この石碑の発見は、5世紀の新羅史研究に大きな波紋を呼んでいます。これまで研究の死角地帯となっていたこの時代の歴史を解き明かす手がかりとなる可能性があり、今後の研究に大きな期待が寄せられています。
現在、石碑の破片は国立慶州博物館の新羅千年宝庫で特別公開展(8月17日まで)にて展示されています。ぜひ、この貴重な機会に、1500年の時を超えて語りかける石碑のメッセージに触れてみてください。