【歴史の謎】徳川家康が「伊賀越え」で生き残れた理由は?運だけじゃない生存戦略を解説!
なぜ家康だけが危機を脱出できたのか?「伊賀越え」の強運と決断
戦国最大のミステリーといっても過言ではない「本能寺の変」。信長が倒れたその時、堺にいた徳川家康は、まさに絶体絶命の危機に立たされていました。明智光秀の手がすぐそこまで迫る中、家康が選んだのは、険しい山道を越える命がけの逃亡劇「伊賀越え」でした。実は、この時、家康とは別ルートを選択した武将は討たれてしまうという悲劇が起きています。なぜ家康だけが無事に岡崎城へ帰還できたのでしょうか。歴史研究者の濱田浩一郎氏は、このエピソードこそが家康の「強運」と「決断力」を物語る重要な場面だと指摘しています。
本能寺の変、その時家康はどこで何をしていたのか?
天正10年6月2日、家康は信長の招待で堺に滞在していました。豪華な接待を受け、平穏な時間を過ごしていた家康のもとに届いたのは、「信長が明智光秀に討たれた」という信じがたい知らせでした。当時、京都周辺は光秀の軍勢による落人狩りで大混乱に陥っていました。家康はこの極限状態の中、いかにして領国である三河・岡崎城まで戻るルートを決めたのか。その緊迫した一部始終は、書籍