野球少年だった神野大地が「山の神」へ 挫折と転換、そして栄光の軌跡
2015年の箱根駅伝5区で、圧倒的な区間新記録を樹立し「山の神」と称された神野大地さん(32)。現在は実業団選手兼監督として競技を続けている彼ですが、意外にも小学生時代は陸上とは無縁だったのです。野球少年だった神野さんが、どのようにして陸上競技の世界で頂点を目指すようになったのか、その道のりを追います。
始まりは「野球」への情熱
神野さんのスポーツとの出会いは、野球でした。「父親が巨人ファン、母親が中日ファン、祖父が阪神ファンと、家族みんながプロ野球好きだったんです。テレビで試合を見る機会も多く、スポーツを始める時は迷わず野球を選びました」と振り返ります。ポジションはピッチャーを中心に、ファーストや外野もこなし、チームを支えました。
忘れられない敗戦、芽生えた悔しさ
小学校高学年で出場した大会の1回戦。相手チームより優位とされていたものの、試合は延長戦に突入します。ピッチャーとして相手打線を抑えていた神野さんでしたが、突如制球が定まらなくなり、まさかの押し出しでサヨナラ負けを喫してしまいます。「悔しくて涙が止まらず、家に帰っても自分の部屋にこもっていましたね(笑)。」と当時を語ります。この敗戦が、彼の負けず嫌いな性格をさらに強くしたと言えるでしょう。
努力だけでは越えられない壁
プロ野球選手を目指し、中学校でも野球を続けた神野さん。体力作りのために始めたのが長距離走でした。しかし、中学に進学すると、周囲との体格差が大きな壁として立ちはだかります。「みんなどんどん成長していって、小柄な自分との差は広がる一方でした。いくらピッチングやバッティングの技術を磨いても、試合に出られないことが続き、『努力では、どうしようもない壁がある』と痛感しました。」
陸上競技への転向、新たな挑戦
中学2年の夏、神野さんは陸上競技に専念することを決意します。野球漬けの日々から一転、陸上部で長距離を走り始めました。努力を重ね、才能を開花させた神野さんは、やがて名門青山学院大学に進学。そして、箱根駅伝5区で区間新記録を樹立し、「山の神」と呼ばれるようになるのです。挫折を乗り越え、新たな道を選んだ神野大地さんの挑戦は、多くの人々に勇気を与え続けています。