『豊臣兄弟!』では描かれない?秀吉の「残虐すぎる戦術」が現代に突きつける真実
放送中の大河ドラマ『豊臣兄弟!』で、陽気な「人たらし」として描かれている豊臣秀吉。しかし、実際の歴史における秀吉の戦いは、ドラマのイメージとはかけ離れた恐ろしい側面を持っていました。当時の戦術は現代の価値観では到底受け入れがたいものばかり。今回は、ドラマではカットや改変されがちな、秀吉の「えげつない戦い」を振り返ります。
鳥取城の餓え殺し:地獄絵図となった「かつえ殺し」
1581年の鳥取城攻めは、戦国史の中でも特に凄惨な出来事として知られています。秀吉は周囲の米を買い占め、完全に兵糧を絶つ「餓え殺し」という戦術を採用しました。城内では植物や家畜のみならず、最終的には人同士が争うほどの飢餓に陥ったと言われています。ドラマの裏側で起きていた事実は、あまりに悲惨なものでした。かつて鳥取城のマスコットキャラクターがこの歴史をモチーフに制作され、大きな議論を呼んだこともありました。
三木の干殺し:2年半の籠城戦が招いた悲劇
「三木の干殺し(ひごろし)」として語り継がれる別所氏との戦い。ドラマでは比較的ソフトに描かれましたが、実際には2年半にも及ぶ長期間の包囲が行われました。食料が尽きた城内では雑草すらも食い尽くされ、多くの人が餓死しました。最終的に降伏へと至る過程で、城主・別所長治は自身の家族を手にかけるという悲劇的な決断を迫られました。秀吉の容赦ない戦術が、多くの尊い命を奪った事実は変わりません。
上月城の戦い:恐怖政治を見せつけた「女子供の磔」
秀吉の残虐さが露骨に表れたのが、第一次上月城の戦いです。秀吉は落城後、配下に命じて敵兵を斬首しただけでなく、なんと200人もの女子供を串刺しにして磔(はりつけ)にしました。これは「織田家に逆らえばこうなる」という恐怖を周囲に植え付けるための見せしめだったとされています。『豊臣兄弟!』の劇中では、こうした残虐行為が美化されたり、演出が抑えられたりしていますが、現実の戦国時代はまさに弱肉強食の世界でした。
ドラマ『豊臣兄弟!』を楽しんでいる方も、ぜひ