「被爆と震災」二つの地獄を生き抜いた女性が、いま原爆ドームを描き続ける理由
84歳の被爆者が語る、絶望を乗り越える「生きる力」
2026年8月6日、広島市の平和記念公園。兵庫県代表として初めて式典に参列した内藤幸子さん(84)は、復興を遂げた広島の街を見つめながら静かに語りました。「広島は被爆し、神戸は阪神淡路大震災で被災した。それでも街はこんなによみがえっている」。彼女の言葉には、二つの大きな悲劇を経験した人だけが持つ、重くも力強い希望が込められています。
3歳の広島と53歳の神戸、二度の衝撃を乗り越えて
内藤さんは3歳の時、爆心地から4.5キロの場所で被爆しました。家族は奇跡的に全員無事でしたが、その記憶は幼心に深く刻まれます。その後25歳で神戸へ移り住み、穏やかな日々を送っていた彼女を、53歳の時、阪神淡路大震災が襲いました。自宅の倒壊、漂うガスの臭い、そして交通網の麻痺。二度も「生死の境目」に直面しながらも、内藤さんは歩みを止めず、家族を守り抜いてきました。
戦争の記憶を風化させない。「生きている者の使命」として描く
定年退職後に趣味として始めた絵画。内藤さんは「自分にしか描けないテーマ」を考えた末、原爆ドームをモチーフに選びました。近年、ウクライナ侵攻の長期化を目の当たりにし、「戦争の恐ろしさが忘れられ、同じことが繰り返される」という危機感から、再び筆を執ることを決意します。彼女が描く原爆ドームの空は、鮮やかなオレンジ色に染まることもあります。それについて内藤さんは「見る人が自由に想像していい。ただ、ここが焼けたことを忘れないでほしい」と静かに語ります。
105歳まで描く。平和への願いを次世代へ
これまで「家族が無事だった自分には、参列する資格がないのではないか」と悩んでいた内藤さんですが、今は「生きている者の使命」として、積極的に平和のメッセージを発信しています。「母と同じ105歳まで生きる」と目標を掲げ、被爆者交流会の世話役としても活動する彼女。深緑の平和記念公園を歩くその背中は、過去を背負いながらも、未来を見据える力強さに満ちていました。