「同じ苦しみを繰り返さないで」4歳で被爆、戦災孤児として生きた牧原清子さんの願い
「この世の光景とは思えなかった」4歳で経験した被爆の地獄
終戦から81年。戦争体験者が高齢化し、当時の記憶を語れる人が年々減少しています。そんな中、大阪府守口市原爆被害者の会会長を務める牧原清子さん(85)は、自身の壮絶な体験を次世代に伝え続けています。牧原さんが4歳の時に遭遇した広島への原爆投下。爆心地から約2キロの地点で被災した彼女は、皮膚が垂れ下がった人々や、積み上げられて焼かれる遺体という「地獄」のような光景を目の当たりにしました。薬もない中で、すりつぶした野菜を塗るしかなかった叔母のケロイドの痛み。牧原さんは「原爆は人間の行為ではない。二度と核兵器を使ってはならない」と、力強く訴えかけています。
親を亡くし雑草を食べる日々…「親がいれば」と願った幼少期
牧原さんの苦難は、被爆だけではありませんでした。2歳で母を、3歳で父を亡くした彼女は、戦災孤児として親類に引き取られました。しかし、そこから待っていたのは、食べるものにも事欠く過酷な生活でした。「線路脇の雑草まで食べていた」と語るほど食事は乏しく、家事に追われて学校にも満足に通えませんでした。今でもその10年間を思い出すと涙が止まらないといいます。「血のつながった親さえいれば」という孤独を抱えて生きてきたからこそ、彼女は「同じ苦しみを次世代には絶対に味わわせたくない」という強い思いを胸に、平和の尊さを説き続けています。戦争の記憶を風化させないための彼女の活動は、現代を生きる私たちに「平和の価値」を改めて問いかけています。