【81年目の記憶】3歳で被爆、震災も乗り越えた84歳洋画家が伝えたい「平和の尊さ」
幼い目に焼き付いた閃光と、被爆者が駆け込んできたあの日
8月6日、広島は81回目の「原爆の日」を迎えました。広島市の平和記念公園では式典が営まれ、多くの人が犠牲者を悼みました。今回、兵庫県代表として初めて式典に参列したのが、神戸市在住の洋画家・内藤幸子さん(84)です。彼女は3歳の時、爆心地から約5キロの自宅で被爆しました。「ピカッと光り、『雷じゃ!』と母に駆け寄った瞬間、爆風が襲ってきた」。幼い日の記憶は、80年以上経った今も鮮明に残っています。その後、裏手の斜面に逃げ込んできたのは、全身に火傷を負い、背中の皮が剥け落ちた若い姉妹の姿でした。近所の親しかった女子学生も犠牲となり、その惨状は内藤さんの心に消えることのない深い傷として刻まれました。
2つの災禍を生き抜いた強さと、絵筆に込める平和への祈り
戦後、神戸へ移り住んだ内藤さんは、子育てや仕事に奮闘する中で、平成7年の阪神・淡路大震災も経験しました。広島の焦土、そして神戸の震災と、二つの大きな災難を経験したからこそ、命の重みを誰よりも知っています。60歳から本格的に始めた洋画制作では、原爆ドームをモチーフにした作品を数多く手がけてきました。「人間は辛い記憶を忘れてしまう生き物。だからこそ、二度と同じ過ちを繰り返さないよう伝え続けなければ」と語る内藤さん。最近描き上げたのは、夕日とも戦火とも取れる赤い空を背景に立つ原爆ドームの絵です。彼女にとって絵を描くことは、平和への願いを未来へつなぐための大切な活動になっています。
「命ある限り描き続けたい」84歳が次世代に託すメッセージ
今回、初めて平和記念式典に参列した内藤さんは、お盆に会うという2人の娘さんにも、式典で感じたことをしっかり伝えたいと考えています。「今も世界中で紛争が絶えない。核兵器が使われる時代が二度と来ないよう、言い続けていく必要がある」。その瞳には、84歳になった今も変わらぬ強い意志が宿っています。「命ある限り、100歳まで絵を描き続けたい」と語る内藤さんの手から生まれる作品は、私たちに平和の尊さを静かに、そして力強く問いかけています。被爆の歴史を知り、平和について考えることは、現代を生きる私たちにとって最も重要な課題の一つなのかもしれません。
※広島平和記念式典の詳細については、