「手を振ったら機銃掃射が…」15歳が見た“平和なナシ園”を襲った米軍機の恐怖
あの日、15歳の少年が目撃した残酷な日常
「米軍機に向かって手を振ったら、突然の機銃掃射が始まった――」。当時の記憶をそう語るのは、鹿児島県さつま町に住む三浦哲郎さん(96歳)です。1945年7月、日本中が戦火に包まれる中、当時15歳だった三浦さんは、宮之城農蚕学校のナシ園で実習を行っていました。空に現れた戦闘機を「敵」と認識していなかった少年たちは、好奇心から思わず手を振ってしまったといいます。しかし、次の瞬間、静かな空は「ヒュー、ヒュー」という曳光弾(えいこうだん)の音と、逃げ場のない恐怖に塗り替えられました。
平和な町が戦場へ、緊迫したあの日々の記録
三浦さんが語るその日の光景は、あまりにも生々しいものです。数十メートル上空を飛行する戦闘機は、まるで目の前をかすめるような近さに感じられたといいます。空襲によって、すぐ近くの畑には爆弾が投下され、犠牲となった児童もいました。また、警察署や学校、さらには川で水泳をしていた子どもたちまでもが機銃掃射の標的となりました。当時の日本軍と米軍の空中戦を目撃した住民からは、「まるでカラスが争っているような異様な光景だった」との証言も残されています。戦争末期の過酷な現実を、以下のサイトでも当時の詳しい記録として確認することができます。
戦争の記憶を次世代へつなぐ大切さ
現在、さつま町にはかつて種子島や甑島から避難してきた、多くの疎開児童を受け入れた歴史もあります。三浦さんは、1700人を超える子どもたちがこの地で過ごした記録も調査してきました。戦後80年近くが経過し、当時の記憶を持つ世代が少なくなっています。しかし、三浦さんのような方々の命がけの証言は、私たちに「平和」の尊さを改めて突きつけています。何気ない日常が、一瞬にして奪われてしまう戦争の恐ろしさ。その教訓を胸に、私たちは二度と繰り返さない未来を選び続けなければなりません。