東日本大震災から15年:定点撮影で見る石巻市の復興と、あの日の5歳の記憶
東日本大震災から15年。宮城県石巻市で被災した桜井家の姿を定点撮影で追ってきた「週刊ポスト」の記事を基に、復興の歩みと、震災を経験した子供たちの現在をレポートします。度重なる余震、停電、断水…あの日の記憶と、未来へ向かう人々の姿を振り返ります。
激震と避難生活、5歳の少年が抱いた「不便」
2011年3月11日、当時5歳だった桜井崇一郎さんは、幼稚園の帰り道で東日本大震災の激震に遭遇しました。「母親の自動車ごとひっくり返るかと思うほどの揺れだった」と振り返ります。一家は祖父母の家に避難しましたが、電気も水も止まり、生活は一変しました。
「最も不便だったのは、ゲーム機が充電できないことでしたね(笑)」と、当時を振り返る崇一郎さん。幼いながらも、ゲーム機が使えないことへの落胆が、当時の状況を象徴しているかのようです。現在はプログラマーを目指し、通信制大学に通っています。
復興住宅と堤防、変わる街並みと失われたもの
桜井家の親戚である木村文洋さんは、石巻市の変化について「田畑がなくなった代わりに、立派な復興住宅や道路、堤防が建ち並んでいる」と語ります。しかし、その一方で「若者の姿は見かけなくなりました」と、人口減少という課題も指摘します。
祖父との別れ、震災以上の悲しみ
2018年には、桜井家にとって大きな悲しみが訪れます。崇一郎さんの祖父が亡くなったのです。「震災より悲しかった。平成の次の元号を楽しみにしていたのに」と、祖母のせつ子さんは語ります。家族との別れは、復興の道のりにおいて、計り知れない心の傷となりました。
東日本大震災から15年。石巻市の復興は着実に進んでいますが、失われたものも少なくありません。桜井家の物語は、私達に「復興」とは何かを改めて問いかけます。
※週刊ポスト2026年3月20・27日号