長崎にわずか80軒…「自分たちは逃げも隠れもしていない」カクレキリシタンのリアルな実態
長崎県下に今もわずかに存在するカクレキリシタン。その存在を知ると、「信仰の自由がある現代日本で、なぜ今でも隠れているのか?」と疑問に思う人も多いのではないでしょうか。しかし、当事者たちは「自分たちは逃げも隠れもしていない」と語ります。いったいどういうことなのでしょうか?
「隠れキリシタン」という言葉の誤解
この疑問の根源には、「隠れキリシタン」という言葉自体にあると宗教学者の宮崎賢太郎氏は指摘します。江戸時代の禁教期に信仰を守り続けた人々を「潜伏キリシタン」、明治以降に禁教令が解除された後の人々を「カクレキリシタン」と区別することで、キリシタン史の理解が深まります。
宮崎氏が聞き取り調査で「あなた方カクレキリシタンは…」と尋ねた際、ある当事者は「自分たちは何も悪いことはしておらず、逃げも隠れもしていない。そんな呼び方はやめてくれ」と訴えたそうです。彼らにとって、それは不正確で侮辱的な呼び方だったのです。
各地域で異なる呼び方
カクレキリシタンが存在する各地域では、呼び方が異なっています。生月地方では「旧キリシタン」や「古キリシタン」、平戸島の根獅子では「辻の神様」、長崎・外海地方では「旧キリシタン」や「昔キリシタン」、五島地方では「元帳」や「古帳」など、様々な呼び名が使われています。
世間に広く知られるようになった今、全地区を総称する統一された名称が必要とされていますが、研究者たちは「納戸神」や「離れキリシタン」といった名前を提案するものの、最も広く用いられているのは依然として「隠れキリシタン」という名称です。
カクレキリシタンは、単に隠れて信仰を守っているのではなく、それぞれの地域で独自の文化や信仰を育みながら、今もなお存在し続けているのです。彼らの存在を知り、その歴史と信仰を理解することは、日本の多様な文化を理解することにも繋がるでしょう。