三味線の女王・津軽ひろ子、5歳で妹と夜の街で歌い始めた壮絶な過去…伝説の歌姫との交流も
演歌歌手・津軽ひろ子さん(78歳)が、20年以上にわたり全国縦断の無料リサイタルを続けていることでも知られています。しかし、その裏には想像を絶する壮絶な人生があったのです。小学校に通えず、三味線を背負ってネオン街を渡り歩いた幼少期、妹との姉妹デュオとしてのデビュー、そして妹の闘病と早世。波瀾万丈な人生を振り返ります。
馬小屋での生活と夜の街でのデビュー
津軽ひろ子さんの生まれは青森県。両親は流しの旅芸人で、家を持たず、無料で住まわせてもらえる馬小屋で育ちました。昼は農作業、夜は両親の歌の合いの手を入れるのが日課だったと言います。
転機が訪れたのは、ひろ子さんが5歳の時。母親が脳の病気で倒れ、寝たきりになってしまったのです。働き手を失った家族は、妹の民子さんと2人で夜の街を回り、歌ってお金を稼ぐことに。父親から歌と三味線を厳しく教え込まれ、その才能が開花しました。しかし、小学校には満足に通うことができませんでした。
数々の苦難と家族の絆
次第に遠くの街へ出稼ぎに行くようになり、青函連絡船に乗って北海道へも足を運びました。おひねりだけでなく、おにぎりやお菓子の施しも受け、時には警察に保護されることもありました。稼ぎは10日に1度、決まった場所で父親に渡していました。父親からは、警察に捕まった時の言い訳を何度も練習させられたそうです。「おまわりさん、歌が好きだから歌っているんです。おゆるしください」
数年後、寝たきりだった母親が亡くなりました。姉妹で死に目に会えたことが、せめてもの救いだったと言います。
大阪での生活と芸能界デビュー
母親の死後、家族は大阪へ移り住み、当時人気だった姉妹漫才トリオ『かしまし娘』の家に住み込みました。正司光長さん(かしまし娘の父親)には、字を教わるだけでなく、礼儀や行儀など、生活面でも多くのことを学んだそうです。しかし、父親は姿を消し、「捨てられた」という強い意識が残ったと言います。
1962年、『ちゃっかり娘』として舞台デビュー。テレビの仕事も決まり、順調なスタートを切りましたが、メンバーが結婚したため解散。一度地元に戻りましたが、周囲の勧めもあり、妹と共にプロの歌い手を目指して上京しました。
ちあきなおみとの出会いと苦労の時代
上京後、同じ事務所にちあきなおみさんが。学年ではひろ子さんが1つ上ですが、誕生日は同じ年で、デビュー時期もほぼ同時でした。一緒にレッスンにも通い、『雨に濡れた慕情』がヒットした際には、自分のことのように喜び、妹と「もっとがんばらないとね」と誓い合ったそうです。
しかし、2人組としての活動は鳴かず飛ばず。キャバレーなどのドサ回りの営業を続けました。同じ頃には、泉ピン子さんやあき竹城さんと営業で一緒になったことも。携帯電話がない時代、スケジュール管理も不十分で、長崎まで飛行機で行ったのに、出演がないということもあったそうです。
津軽ひろ子さんの人生は、苦難の連続でしたが、三味線への情熱と家族への愛情を胸に、伝説の歌姫として、今もなお歌い続けています。
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