「父は写真の中の人だった」83歳語り部が戦地からの手紙に触れた、戦争の記憶と感謝
83歳の語り部が受け取った、父からの「愛のバトン」
終戦から79年。毎年8月15日の「全国戦没者追悼式」が近づくと、戦争の悲惨さを今に伝える取り組みが各地で行われます。今回ご紹介するのは、岡山市に住む近藤嘉也さん(83)の物語です。近藤さんは、昨年から戦争の記憶を伝える「語り部」として活動を始めました。彼が語り部になるきっかけ、それは亡き父が戦地から送った一通の手紙との再会でした。
「加害者であり、被害者」佐世保のバーで働く女性が目撃した、戦地から帰還した米兵の涙
日常のすぐそばにある「戦争の影」
長崎県佐世保市。米海軍基地があるこの街の外国人バーで働く31歳の日本人女性にとって、戦地から戻った米兵たちは「お客様」であると同時に、戦争のリアリティを突きつけてくる存在です。彼女の曽祖父は太平洋戦争で戦死しており、自身も戦争の悲惨さを学んで育ちました。しかし、目の前で泣き出す米兵たちを前に、彼女が抱く感情は、教科書で学んだ「善悪」だけで割り切れるものではありません。「彼らは好きで戦地へ行っているわけではない。国に従う加害者であり、同時に被害者でもあるのではないか」という複雑な思いが、日々胸をよぎります。
終戦の6日前、海防艦「稲木」の激闘。命懸けの証言が伝える「戦争のむごさ」
終戦直前の悲劇、八戸沖で沈没した海防艦「稲木」
8月15日は「終戦の日」です。今から79年前の1945年8月9日、終戦まであとわずかという時期に、青森県の八戸港でアメリカ軍の猛烈な攻撃を受け、沈没した海防艦がありました。その名は海防艦「稲木(いなぎ)」。3時間以上にわたる激しい空襲の末、この艦で29人が命を落としました。歴史の教科書には載らない小さな、しかし忘れてはならない悲劇が、今改めて注目されています。
日本最高齢だった111歳が遺した「戦争の記憶」―「いつまでも記憶しとくもんじゃない」という真意とは
111歳で永眠。激動の時代を駆け抜けた水野清隆さんの人生
今年2月、111歳という天寿を全うされた水野清隆さん。かつて日本国内最高齢の男性として注目を集めた彼は、大正、昭和、平成、令和と4つの時代を生き抜いた「生きる歴史」そのものでした。1914年(大正3年)生まれの水野さんは、日本史の教科書にも載るような重大事件の渦中にいた経験を持っています。20歳で軍の最精鋭である近衛兵となった彼が語ったのは、教科書には載っていない「個人のリアルな記憶」でした。
終戦から81年。なぜ今、「戦争の歴史」を学び直す必要があるのか?
遠い過去の話ではない。今も続く「戦火」と私たちの教訓
今年2月、イラン南部で起きた学校への爆撃により、多くの児童が犠牲となりました。この悲劇のニュースを聞き、福岡県のかつての大刀洗飛行場周辺で起きた「頓田の森」の悲劇を思い出した方も少なくないはずです。先の大戦末期、避難先にいた子どもたちが空襲で命を落としたその事実は、現代の国際情勢と決して無関係ではありません。世界各地で続く紛争は、過去の教訓を私たちが忘れかけていることを示唆しています。終戦から81年が経った今、記憶を風化させず、平和について考えることは、私たち一人ひとりに課せられた重要な使命です。
「行きは一等船、帰りはみじめ…」終戦から81年、89歳女性が語る壮絶な引き揚げの記憶
華やかな渡航から一転。89歳が見た「引き揚げ」の過酷な現実とは
太平洋戦争の終戦から81年。かつての日本の植民地であった朝鮮半島や中国大陸などから、戦後に日本へと戻った「引き揚げ者」はおよそ319万人にのぼります。平和な日常がある日突然壊され、極限状態での帰国を強いられた人々。金沢市に住む野村浩子さん(89)が、幼い頃の記憶を辿りながら、二度と繰り返してはならない「戦後の過酷な現実」を語ってくれました。
8月15日に問われるリーダーの言葉。高市首相の「戦争観」が注目される理由
戦争の記憶が薄れる今、首相の発信力が重要に
8月15日は「終戦の日」です。戦後79年が経過し、戦争体験者が激減する中で、当時の凄惨な出来事や日本が加害者であった側面は、私たちの記憶から少しずつ遠ざかろうとしています。かつて田中角栄元首相が「戦争を知らない世代が国の中核になる時が怖い」と語った通り、歴史を正しく継承していくことは、今の日本にとって非常に重要な課題です。政府主催の全国戦没者追悼式で、首相がどのような言葉を紡ぐのか、その「発信力」と「戦争観」が今、改めて注目されています。
「戦争の無残さを次世代へ」90歳の著者が綴った自分史『大陸の風』が8月15日に出版
壮絶な満州引き揚げ体験を詩歌で語り継ぐ
三重県四日市市在住の松本康さん(90)が、自身の戦中・戦後の記憶を綴った自分史『大陸の風』を自費出版しました。10歳の時に満州で敗戦を迎え、ソ連軍の侵攻や家族との引き揚げ、そして父との別れ。幼い頃の過酷な体験を、当時詠んだ短歌や俳句、詩などを交えて一冊にまとめ上げました。
「きょうは良い日でした」12歳の少女が遺した最後の日記。広島原爆で失われた日常と姉の葛藤
8月5日の日記に残された「一日一善」の誓い
8月6日、広島に投下された原爆。その惨劇から81年が経過しようとしています。多くの命が奪われたその日、爆心地近くで「学徒動員」として働いていた12歳の少女、石崎睦子さんが遺した日記が、いま改めて注目されています。日記には「8月5日晴れ今日は大変よい日でした。これからも一日一善ということを守ろうと思う」と綴られていました。何気ない日常の幸せを噛みしめていた少女の明日は、原爆によって永遠に奪われてしまったのです。
【広島原爆の日】81回目の夏、平和への誓いを新たに。平和記念公園で式典が開催
8月6日、広島に刻まれた祈りの日
8月6日、広島は81回目の「原爆の日」を迎えました。広島市中区の平和記念公園では、犠牲者を悼む市主催の平和記念式典が執り行われました。会場には被爆者や遺族、そして高市早苗首相をはじめとする多くの参列者が集まり、その数は約5万人にのぼりました。時計の針が被爆時刻を指す午前8時15分、会場は静寂に包まれ、参列者たちは犠牲者の冥福を祈り、改めて平和の尊さを胸に刻みました。