終戦の6日前、海防艦「稲木」の激闘。命懸けの証言が伝える「戦争のむごさ」
終戦直前の悲劇、八戸沖で沈没した海防艦「稲木」
8月15日は「終戦の日」です。今から79年前の1945年8月9日、終戦まであとわずかという時期に、青森県の八戸港でアメリカ軍の猛烈な攻撃を受け、沈没した海防艦がありました。その名は海防艦「稲木(いなぎ)」。3時間以上にわたる激しい空襲の末、この艦で29人が命を落としました。歴史の教科書には載らない小さな、しかし忘れてはならない悲劇が、今改めて注目されています。
「必死に戦いました」乗組員が遺した緊迫の証言
当時、地獄のような戦場を生き延びた乗組員のひとり、杉浦專治さん(当時94歳・2017年撮影)が遺した貴重な映像には、当時の緊迫した状況が克明に記録されています。「艦長が敵の機銃掃射で倒れ、息絶える直前まで『指揮所へ戻り、戦闘を続けろ』と命じた」という言葉からは、極限状態の中で命を懸けて戦った若者たちの姿が浮かび上がります。
平和への思いを次世代へ、遺された「手記」が伝えるメッセージ
杉浦さんは3年前に100歳でこの世を去りましたが、その記憶は娘の大見えり子さんへと引き継がれています。遺品の中から見つかった戦争体験の原稿用紙には、「二度とこんなむごい戦争はやってはいかん」という強い願いが綴られていました。大見さんは父の思いを伝えようと、2024年に手記として出版し、毎年八戸市の蕪嶋神社で行われる慰霊祭にも参列しています。
私たちは戦争の記憶から何を学ぶべきか
80年近い月日が経ち、戦争体験者が減っていく中で、こうして遺された手記や証言は、現代を生きる私たちにとって平和の尊さを考える大切なバトンです。青森テレビの報道などの詳細は