カープ黄金期を支えた川口和久がプロではなく社会人野球を選んだ理由とは?
2025年11月に開催された『カープレジェンドゲーム2025』で登板した川口和久氏。1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたちの熱い思いが語られる中、川口氏の知られざる過去が明らかになりました。高校卒業後、プロではなく社会人野球を選んだ理由とは?
プロ入りを拒否した理由
1977年のドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名を受けた川口氏。カープをはじめ、巨人を含む11球団のスカウトが注目する中、彼は「まだまだ力不足」と感じていました。体力と自信の不足を不安視し、家族や野球部の監督、友人に相談した結果、社会人野球への道を選ぶことを決意します。
営業マンとして奮闘した日々
大阪の事務機メーカーデュプロに入社した川口氏は、営業マンとして社会人生活をスタートさせました。しかし、新規開拓という厳しい現実に直面。「3年間はプロに行けないんだから、その間はウチでしっかり度胸をつけて、そしてプロ野球に行け」という社長の言葉を受け、営業の仕事に打ち込むことになります。
プロへの道は遠く…葛藤と決意
営業マンとして、世間知らずな自分が年輩の顧客を相手にセールストークをするのは容易ではありませんでした。仕事と野球部の練習を両立させながらも、練習環境の悪さや仕事の忙しさから練習時間も十分に確保できません。社会人2年目の夏、「果たして俺は本当にプロに行けるんだろうか」と不安を抱き、高校の監督の友人に「もう(野球を)辞めようかな」と相談するほどでした。しかし、その時、広島東洋カープのコーチとの繋がりが生まれ、新たな道が開かれることになります。
(第3回へ続く)