原発事故で休校の福島・富岡高校、校歌が繋ぐ記憶と未来 10年の活動に元校長が語る想い
2011年の東日本大震災と福島第一原発事故で避難指示が出た福島県富岡町。休校となっている県立富岡高校で、卒業生たちが校歌を斉唱する活動が、事故から15年となる今年、10周年を迎えました。この活動を提案した青木淑子元校長(78)に、その想いと今後の展望を伺いました。
学科改編と町との繋がり
青木さんは2004年に富岡高校に赴任し、普通科を廃止して国際・スポーツ科を新設するという大きな改革を主導しました。当初は反対意見もありましたが、町民や同窓会との丁寧な対話を通じて理解を深め、改編を成功に導きました。「町の人々に支えられ、強い連帯感を感じた」と振り返るように、地域との繋がりを大切にしていました。
避難生活での再会と校歌活動のきっかけ
原発事故発生後、富岡町は全町避難指示が出され、青木さんも郡山市へ避難しました。避難所では教え子たちと再会し、被災した町民の支援に尽力しました。そんな中、2015年8月に一時立ち入りが認められた富岡高校を訪れた際、生徒たちが自然と校歌を口ずさむ姿を見て、「無人の校舎に校歌を響かせ、学校は消えていないという思いを伝えたい」と決意しました。
10年にわたる活動とコミュニティの再生
青木さんは同窓会に協力を呼びかけ、毎月第3日曜日、富岡高校の校舎前で校歌を斉唱する活動を開始しました。新型コロナウイルス感染症や悪天候にも負けず、10年間続けてきたこの活動には、延べ1000人以上の卒業生や元職員が参加しました。原発事故で町を離れた人々も足を運び、故郷への想いを共有する場となっています。
学びの場の再生に向けて
2023年には、富岡町が青木さんをメンバーとした「同校の利活用に関する検討会」を立ち上げました。まだ協議は始まったばかりですが、青木さんは「原発被害を乗り越えたこの町ならではの学びの場が戻って来るまで活動を続ける」と強い決意を示しています。校歌を歌い続けることで、富岡高校の記憶を未来へと繋ぎ、町の復興を後押ししていく青木さんの姿は、多くの人々に希望を与えています。