医師・鎌田實が語る「養子だった過去」と、父との葛藤…今だからこそ明かされる心の傷
地域医療、難民支援、被災地支援と多岐にわたる活動を行う医師・作家の鎌田實さん。その知られざる過去に迫る連載『わが人生に悔いなし』から、鎌田さんの言葉を抜粋してご紹介します。37歳まで養子であることを知らなかった鎌田さん。養父との関係、そして心の奥底に抱えた「怒り」について語ります。
衝撃の事実…37歳で知った「養子」という現実
鎌田さんは実の両親の顔を知りません。1歳の時に養父母に引き取られ、愛情深く育てられましたが、自分が養子であるという事実は、37歳になるまで隠されていました。鎌田さんはその事実を偶然知ったものの、養父母に知らせることはありませんでした。
この経験から、鎌田さんは幼少期から「いい子」であろうと努めていたと言います。反抗期らしい反抗期もなく、常に周囲の期待に応えようとしていたのです。
貧しい幼少期…もやし炒めに隠された親の愛情
養父は青森県の農家の末っ子で、勉強好きでしたが、小学校しか通えませんでした。上京してタクシー運転手として働き、心臓病を患う養母のために尽くしていました。当時、医療費は全額自己負担だったため、一家の生活は決して楽ではありませんでした。
鎌田さんは幼い頃、夜遅く帰ってくる養父と定食屋へ行くのが日課でした。養父はいつも「何が食べたい?」と聞いてくれ、鎌田さんは「もやし炒め」と答えていました。それは、一家にとって最も安価なメニューだったのです。後に、妻が作ったもやし炒めを味わった養父が「お前は子どものころ、もやし炒めが好きだったなあ」と語ったエピソードは、鎌田さんの胸に深く刻まれています。
厳格な父との葛藤…「がんばらない」ふりをした理由
養父は厳格で、躾にうるさく、鎌田さんが家事をきちんとこなせないとやり直しを命じていました。運動会で一番になっても、試験で良い点を取っても、決して褒めてくれませんでした。「全力で努力しても、そう見られないことが嫌で、いつも『がんばらない』ふりをしていた」と鎌田さんは語ります。「頑固で怖い存在で、父とはいつもぶつかっていました」と、複雑な感情を吐露しています。
鎌田さんの人生は、養子としての出自、貧しい幼少期、そして厳格な養父との葛藤という、様々な困難を乗り越えてきた軌跡です。その経験から得られた教訓や、地域医療、難民支援への情熱は、多くの人々に勇気を与え続けています。
瀬戸内みなみ著『わが人生に悔いなし』(